関西の武田塾 合格体験記まとめ

こちらの記事では、関西の武田塾の校舎から

難関大学に逆転合格した生徒たちの合格体験記の一部を掲載しております。


憧れの志望校に実際に合格した先輩たちがどのような受験期を過ごしていたかをリアルに知ることで

勉強を最短距離で進められるようになりますし、モチベーションアップにもつながることでしょう。


気になるところから順番に見ていってください。

【北海道大学】・【法政大学】に合格 辻 卓巳くん

大阪校から北海道大学、法政大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

武田塾のルートと参考書を使った勉強で志望校合格

辻 卓巳(つじ たくみ)さん
名前
辻 卓巳(つじ たくみ)
校舎名
武田塾大阪校/1浪で合格
合格した大学
北海道大学総合理系
法政大学理工学部

偏差値の推移

合格した北海道大学総合理系は偏差値62
武田塾へ入塾以前の偏差値は50~54程度。現役時代はE判定以外取ったことはない。

将来の夢

これから考えます。そのための北大総合理系合格です。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

高校時代、数学以外には努力して成績を上げたという経験がなかった。その原因が自分自身のサボり癖だと分析して、勉強を管理してくれて、さらにサボれない武田塾に決めました。

②武田塾の勉強法で成績は?

武田塾では2次試験に必要な4科目(英語、数学、物理、化学)を取っていました。その4教科すべての成績が上がったのでの総合理系に合格できたと思います。

③武田塾に入って良かったこと

問答無用で、こなすべき宿題(課題)のページ数を4日間で割って提示してくれること。このような4日進んで2日復習して、最後の1日で特訓(確認テスト)という武田塾の方式が自分に合っていた。

辻卓巳さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
私立桃山学院高等学校(偏差値51)
受験相談の時期
浪人が決まった3月後半
入塾時期
4月初旬
受験科目
センター試験:英語、数学、物理、化学、国語(現代文・古文・漢文)、地理
2次試験(記述):英語、数学、物理、化学
志望校を選んだ理由
日本一大きくて奇麗なキャンパス、総合入試という制度、北海道の大地への憧れ。
得意科目:理由
以前は数学、今は物理:数学的なアプローチで解くことも出来るし、意味的(論理的)なアプローチから解くことも出来るから。最終的には物理と英語が得点源になった。
苦手科目:理由
古文、漢文:最後まで興味が持てなくて、勉強することが苦痛だった。
他の塾や予備校の経験
武田塾が高校生になってから初めての塾です。
高校時代の部活動など
軽音楽部(ギターを弾きたくて入りました。ジャンルはロックです)
受験勉強期間中のタイムスケジュール
8:00 起床、13:00まで数学と物理、武田塾へ行って30分ほど物理(ウォーミングアップ)
14:00~20:30 英語と化学を勉強
22:00~ 帰宅
好きな参考書、お勧めの参考書
『“毎年出る”頻出英語長文(毎年出るシリーズ)』、日栄社
『名門の森 物理(河合塾シリーズ)』、河合出版
『高校これでわかる化学』、(文英堂)

合格体験記

最初から北大総合理系だけを目指した大学受験

高校時代はバンド(軽音楽部)に夢中になっていたので、勉強らしい勉強はやっていません。それでなくても進学コースと名前は付いているものの、偏差値51程度の高校でした。
高校の平均値が低ければ、ちょっと勉強しただけで定期テストの成績は上がります。両親の手前、勉強しているふりはしていましたが、定期テスト前の一夜漬けで点数を取る程度でした。やがて、そのように手ごろな結果だけを出して勉強をしているふりをしていたことが裏目に出ます。
無謀にも現役時代も北大を受けたのですが、試験を受けに行ったというよりは、お金を捨てに行ったようなものです。大学受験を口実に北海道旅行に行ってきました。

当然のような浪人が決まってから、本気で受験勉強をやる気になりました。目指すはやはり北海道大学総合理系です。
この総合理系というのは、学部入試ではありません。東大と北大だけの制度です。入学してから1年間、基礎教養を学んだあとに学部を決める形式です。極端な話、文系の学部に行くこともできます。逆に総合文系で入学してからの理転もできます。ですから北大の総合文系は、理転する目的で入学する人もいるので、他の文系に比べて偏差値が少し高めだそうです。
それにしても周りから見れば、やはり無謀な挑戦に映ったと思います。いいときでも偏差値は50台半ばに届いていないのに、偏差値62~3の北海道大学総合理系に挑もうとしたのです。それでも北大を目指したのは、冗談のような話ですが、家からどれだけ離れているかというキロメートルの大さと、関西との気候帯の違い、そして偏差値の高さ(ブランド)でした。

逆転合格するには勉強を管理してくれる武田塾しかない

武田塾がいうところの「授業では成績は伸びない」「参考書を使った自学自習が最強の勉強法」に共感したということもあります。でもそれ以上に勉強することを強制するというか、勉強しなければならないように仕向ける塾だということが武田塾を選んだ理由です。
集団授業じゃ成績が伸びないことや参考書を使った勉強が効率的だということは、ほとんどの人が気付いているのではないでしょうか。
それなのに高校時代には、自分で勉強して成績を上げたといえるのは数学だけでした。それ以外は常日頃から勉強しているふりをして、定期テストの直前だけは追い込みで勉強して、たとえ付け焼刃でもそこそこの点数が取れれば、学校での評価は高くなります。でもそれでは本当の意味での実践力が付かないことは分かっていました。

分かっているのに真面目に勉強しなかったのは、やらなかったというよりはやれなかった、自分ではやらなければと思っていても、ついついサボり癖が出てしまうことの繰り返しだったからです。
そこまで自己分析すると、サボれない塾であることが塾・予備校選びの重要なファクターになります。多分この要素が武田塾を選んだ最大の理由だったと思います。
さらに足元をよく見ると、通常の予備校では到底不可能な、超大逆転合格ともいえる北大総合理系への無謀な挑戦です。武田塾で示してもらったルート以外に、志望校合格の可能性などあり得ないと思いました。
そして始まった武田塾でのルートに沿った自学自習の指導では、次にこなすべき課題を宿題として1週間のうちの4日間で割り振られます。それこそ問答無用と押し付けられます。さらにその後の2日間は復習日です。そして週7日のうちの最後の1日は特訓日として確認テストが実施されます。

もちろん躊躇することもあったが、今はやるしかない

今ならば「武田塾の指示通りやれば、どんな大学でも受かるよ」と言えるのですが、先の見えない浪人では「こんなんで大丈夫やろか」と思うこともありました。
それこそ問答無用で宿題が出され、翌週の確認テストの時に8割以上の得点でないと先へ進めません。足踏み状態が続きお先真っ暗になることもありました。
現役の頃の一番の苦手科目は化学でした。何しろ現役で受けたセンター試験では38点しか取れなかったのです。化学の問題に解答するには、暗記もあるし論理もあります。もし暗記一辺倒でいいのならば、全部覚えればいいだけです。
でも、「これについては覚えておく」「これについては論理構成を考えなさい」と言われてしまいます。その一方で「この化学反応には、どのような意味があるのですか?」と訊いても、「そこは考えずに覚えてください」と言われてしまいます。だからといって丸暗記していたら、「丸暗記では解けませんよ」と言われます。「だったら、どうしたらいいねん?」という心境です。

化学では、頑張って勉強しているのに確認テストを突破できなくて、2週連続で同じ宿題を出されたことが幾度かありました。それでも結果的には今年のセンター試験本番では97点も取れたのですが、それは後日談で、最初の頃の化学の宿題には悩まされました。
冒頭に「今ならば武田塾の指示通りやれば、どんな大学でも受かると言える」と書きましたが、先の見えない浪人生活では不安が募ります。すでに進学している友だちはみんな、遊んでいます。さらに1年半も付き合っていた彼女が東京の私立大学へ入学したので別れることになりました。
こちらは先の見えない惨めな浪人生活、相手は現役で推薦入学です。SNSで東京へ行った彼女が楽しそうな大学生活を送っているのを見ると、ますます寂しさが募ります。
こんなことが次々と出てくると、「オレ、大丈夫やろか」「北大の総合理系なんてぶち上げたけど、可能性はあるんかいな?」と思ってしまいます。

意気込まず、ただ淡々と宿題(課題)に挑む

浪人生活を始めてからは、朝は8時に起きていました。午前中は数学と物理です。この2科目を昼までやってから武田塾に向かいます。武田塾に到着したら、30分程度はもう一度数学と物理です。
実はこの数学と物理の30分間がウォーミングアップなのです。数学と物理は頭を使うので、頭を使って勉強モードに切り替えていきます。2時ごろからは主には英語と化学です。これをグルグルと回していきます。
20時過ぎには、いったん勉強を切り上げて帰宅の途に就きます。家までは片道1時間くらいなのですが、友だちと会話を楽しむ以外は『システム英単語(駿台受験シリーズ)』で英単語をやるか、『ポレポレ英文読解プロセス50―代々木ゼミ方式』を開いていました。
ときには英文読解に夢中になって、環状線を2周したこともあります。

「ともかく武田塾のルートと指導法に従って勉強しよう」「目の前の、毎週出される宿題を確実にやるだけや」と、最初に武田塾に期待したサボり癖の克服のための武田塾の勉強管理を受け入れて、孤独な日々を過ごしていました。
ただし孤独だとは言っても、焦りは禁物です。意気込み過ぎて空回りにならないように心がけました。今はただ武田塾のルートに沿って、毎週出される宿題を確実にこなすだけです。「絶対受かるぞ」とか「みんなを見返してやるぞ」なんて意気込むと態度にも表れます。「オレはこんなに頑張ってるぞ!」って雰囲気です。
高校時代、いかにも勉強しているように見せて、定期テストを一夜漬けでやっていたことを思い出しました。「あれはバレバレやったなー」と今では思います。一時的にやる気を出しても、それは非日常行動です。一時的なやる気を出して無理やり踏ん張っていても長続きしません。
まして大学受験、それも浪人しての大学受験です。1年って本当に長い。1年過ぎて志望校に合格した今でも「長かったなー」と思います。それ以上に浪人中は、先の長さと厳しさを感じていました。これからはサボり癖との闘いだと自分に言い聞かせていたので、「意気込んじゃダメだ」「サボらずに毎週の課題をこなそう」ということだけを考えていました。

浪人したお陰で、好きになった教科もある

現役時代に唯一勉強したといえるのが数学でした。今ではその数学を抜いて「物理が得意科目です」といえるようになりました。これほどまでに物理が好きになったのは、武田塾の講師の先生の影響が大きいと思います。
物理を担当してくれた講師の先生、大学生の方ですが初見の問題でもサラサラと解いてしまうのです。「なんでこんなに簡単に解けるんだろう? どうしてかな?」と思って訊いてみたら、「大学に入って、一つ上のレベルから高校レベルの物理の問題を見ると、全部同じに見えるんだよ」といわれました。
「そうかー! 勉強すればこんなにも簡単に解けるのか―! これは楽しみだな」と思いました。大学へ入ってから物理を勉強する楽しみも出来たし、その前に今、受験勉強のさなかでも物理を勉強することの楽しさです。勉強すれば、こんなに出来るようになるのだと講師の先生が実例で示してくれたのです。
物理は、数学的なアプローチで解くことも出来ます。さらに論理的な、意味的なアプローチで解くことも出来ます。微分を使ってゴリゴリと計算しても解けますし、論理的に考えて「運動は本来こういうものだから、こちら側に進んで行くはずだ」と捉えることもできます。受験勉強の範囲内の勉強でいうのも恥ずかしいのですが、やればやるほど自然科学の面白さと可能性に触れることができたように思います。

でも白状してしまうと、物理のように好きになった教科がある反面、古文と漢文はやればやるほどウンザリしてしまった教科です。そもそも歴史にも興味がなかったので、理系志望者に特有の国語が苦手という状況が重なって、現代では話されていないような日本語には興味が持てなくて、モチベーションが上がらなかったのです。
さらに文法も難しいので「なんでわざわざ古文や漢文を勉強させるんだ。せめて現代語訳をしてくれれば読むのに」といった感じです。苦手な古文と漢文を勉強する時間があれば、ほかの教科に時間を割り当てた方が点数が取れると割り切ることにしました。

「素直になれ」と、このあと受験する人にも言いたい

もちろん僕だって「ルート通りにやれば本当に北大総合理系へ行けるの?」と不安になったことがあります。「この後に、なぜこれをやるの?」「このスケジュールはきつ過ぎるんじゃない?」「同じことの繰り返しで、こんなことで成績は上がるの?」と、次々と疑問が浮かんできます。
でも、そんなときこそ塾を信用すべきだと思いました。事実、次々と浮かんでくる疑問のうちのほとんどが、出来ないことの言い訳なのです。受験勉強は苦しいので、目の前の課題が困難であればあるほど、出来ない理由を考えてしまいます。成績が足踏み状態だと、ルートや選定してもらった参考書への疑問に置き換えようとします。
さらに合格最低点が変わっただとか、出題傾向が変わるだとか、さまざまな話が飛び込んできます。でも果たして、それらの情報や使う参考書を変えたところで、いったい何点のアップにつながるのでしょうか? たぶん勉強法を変えたことによる効果なんて、せいぜい1点止まりです。そのようなことを考えている暇があれば単語を一つでも多く覚えた方がいいのです。

勉強法についての疑問や不安が浮かんだとき、僕の場合は、なぜ武田塾を選んだのかを思い出すことにしていました。サボり癖を許さない参考書を使った4日進んで2日復習、そして1週間後には確認テストと特訓という武田塾の指導方針に共感したからです。
ついついサボってしまって、いかにも勉強したふりをしながら付け焼刃で直近のテストをクリアする姿勢では、北大の総合理系なんて不可能なことは僕自身が一番分かっていました。さらに武田塾のルートでないと、到底合格圏に入れないことも分かっていました。
武田塾のルートって、出発点での一人ひとりの実力から、志望校合格までの最短距離の勉強法なのです。誰だって実力ギリギリの最高峰の大学を目指すのですから、ムリなくムダもない最短距離を突き進まない限り、志望校合格は不可能です。それを実現するのはただ一言、最初に納得した塾の方針を信じて「素直になる」ということです。参考書の選び方や、塾から示されたルートに不安を感じているようでは、勉強が手に付きません。
このように割り切ることによって、一歩一歩勉強が進んで行きました。

勉強しないと落ち着かない浪人生活と北大総合理系を選んだわけ

今やっている勉強法に疑問を持つようでは足踏みをしてしまって、その分だけ不合格の可能性が高まると考えていたのですが、そのこととは別に勉強が進まなかった時期があります。元々の成績が偏差値50台前半で北大総合理系は62か63ですから、これから這い上がるべき峰の高さは想像を絶していました。
友だちや彼女が大学へ行って青春を謳歌しているという状況から取り残された春先の辛さからは脱却できたものの、勉強ばかりの日々が続くと、そんな毎日が辛くなってきます。持ち前のサボり癖というか、根性が足りなかったのでしょう、夏が終わる頃になると勉強が手に付かなくなりました。
ただ勉強をサボって、家で寝ているという日が続きました。お金がないから、せいぜい散歩に出るか友だちの家に行くぐらいです。それでも、やがてスランプ状態も解消しました。 実は浪人生って、勉強していないと後ろめたくって落ち着かないのです。勉強することから逃げたはずなのに、サボっていることが落ち着かなくて、勉強することへ逃げる。これが浪人生に共通しているパターンのようです。勉強から逃げた挙句、逃げることから逃げて、結局は勉強へと戻ります。

スランプともいえる勉強が手に付かなかった状況から一歩踏み出せたのは、志望校への憧れもあります。
最初は単純に、どうせ大学生活を送るのなら九州大学や北海道大学など遠いところがいいと、地元からの距離で考えていました。
やがて北海道大学の広大で美しいキャンバスの映像が目に飛び込んできました。雄大な北海道の自然と共に、関西とは違った亜寒帯という気候帯の中での生活にも未知への憧れがあります。そして志望校を決める上での決め手となったのが、入学してから学部を決めることができる〝総合入試〟という制度です。
今まで19年間生きて来て、特別な人生だったと思っていません。ずっと野球を続けて活躍している人もいれば、何をやらしても凄い同級生もいます。「みんな格好イイなー!」と思うのですが、自分自身を振り返ってみるとイマイチの感じです。ぜひこれをやりたいと思うほどの夢もなければ、一生かけてやるべき仕事も見つかりません。でも自分の人生や青春時代を無駄に過ごしたくないのです。
夢のような北海道大学に入って、さらに時間をかけて自分のやりたいことを探せるのですから、北海道大学の総合理系ほど僕にピッタリのところは無いと思いました。まるで僕のために作ってくれた北大総合理系ですから、ここに入ることこそが僕の大きな夢になったのです。 そう考えると、もうサボっている暇はありません。

北大総合理系合格、そして後に続く人たちへ

全力を尽くし切って掴んだ栄冠です。
合格発表は9時半だったのですが、気持ちを落ち着かせてから見ようと、11時になってから見ました。自分の番号を見つけて「うおおー」と叫んだら、両親が部屋から出てきました。実はその日が合格発表日だということを伝えていなかったのです。
キョトンとしている両親に「受かったよ」と一言だけ言いました。「良かったー、おめでとう」「良かった、良かった」と両親も喜んでくれたのですが、多分半信半疑だったと思います。僕自身、受かった瞬間にメチャメチャ嬉しかったのですが、じわじわと実感がこみ上げてきたのは、だいぶ経ってからです。

いつものように「さあ、これが終わったら勉強しよう」「午前は休んで午後から勉強だ」とふと浮かんで、「そうかー! もうやらなくていいんだ」と思ったときや、「明日の予定はどうなってたかなー?」「何の科目をやるんだっけ?」と寝る前に浮かんでしまうたびに、ドバーっと喜びが押し寄せてきます。「あっ、もうしないでいいのだ」「明日はもう勉強しなくていい」「もう勉強しなくてもいい」という事実に突き当たるたびに、繰り返し実感が湧いてくるのです。「ああ、受かったんか、俺!」「ほんま良かったな、俺」という感じです。

僕の受験体験記がみなさんにも当てはまるとは言い切れません。人それぞれで得手不得手があると思います。僕の場合は超大逆転ともいえる「北大総合理系への挑戦」と、受験イコール「サボり癖の克服」でした。それを可能にしたのが宿題で管理する武田塾の指導法と、合格までの最短距離の道筋(カリキュラム)を示してくれる「ルート」でした。
もしみなさんが僕のようなサボり癖のために足踏みしているようならば、「それなら絶対、武田塾がいいよ」とお勧めします。ただし他にも予備校や塾は無数にあります。元から勉強ができる受験生や集団授業の方が勉強になると思われる方には他の選択肢があるかもしれません。
人生を左右する大学受験です。最後は自分の判断ですので、慎重に検討してください。みなさんの奮闘を期待しています。

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【関西学院大学】・【立命館大学】・【同志社大学】に合格 小竹 裕紀くん

堺東校から関西学院大学、立命館大学、同志社大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

勉強管理は武田塾に任せ、終始マイペースで受験勉強

小竹 裕紀(しの ゆうき)さん
名前
小竹 裕紀(しの ゆうき)
校舎名
武田塾堺東校/現役合格
合格した大学
関西学院大学文学部総合心理科学科
立命館大学経済学部(センター利用)
同志社大学心理学部(補欠合格)

偏差値の推移

合格した関西学院大学文学部総合心理学科は偏差値58

第1回全統
マーク(4月)
センター試験
プレ(11月)
教科偏差値偏差値
英語66.164.5
リスニング67.449.4
数学IAIIB52.854.8
国語55.059.4
物理基礎55.854.4
化学基礎45.552.0
倫理政経44.643.3
世界史B41.641.5

将来の夢

模索中、教師(公務員・私立も可)、保健、家庭科でもいい。ダンス部の顧問

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

駅で受け取ったチラシに「授業をしない塾」と書いてありました。集団授業に飽き飽きしていたこともあり、自分のペースで勉強したいと思っていた自分にはピッタリの塾でした。

②武田塾の勉強法で成績は?

紆余曲折はあるのですが、徐々に伸びて行きました。得意な英語は着実に、苦手だった数学も、最後の最後で追いついた感じです。

③武田塾に入って良かったこと

勉強できる環境も整い、自分のペースでやりつつ、管理してもらえるのが良かった。自分にピッタリだと思った。マイペースな人、人にペースを乱されたくない人、人に合わせるのが面倒な人に良い。

小竹裕紀さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
大阪府立泉陽高等学校(偏差値69)
受験相談の時期
高校1年の終わり頃
入塾時期
受験相談の直後に入塾
受験科目
国語(現代文・古文・漢文)、英語、数IA・IIB(センター併用)
志望校を選んだ理由
せめて関関同立以上だと、知名度もあり、偏差値もそこそこだから。
得意科目:理由
英語:興味を持てたから。洋楽(マルーン5、ジャスティン・ビーバーなど)が好きだから。
苦手科目:理由
数学:いつまで経っても応用力が付かなかった。
他の塾や予備校の経験
武田塾以外は行っていない。集団授業が嫌いだった。授業が無くなってから(学校が休みになってから)
高校時代の部活動など
ダンス部(ポップ、ロボットダンスがメイン。ダンスバトルで関西地区ベスト8)
受験勉強期間中のタイムスケジュール
休みに入ってからも、朝は8時頃起床、場所を変えないと集中できないので10時くらいに学校に到着。
学校に到着して、すぐに勉強を始める日もあれば、30分ほどボウっとしている日もあった。
17時くらいまでは学校で勉強。
その後、17時半ぐらいから武田塾で特訓を受けたり、自習したり、20時ぐらいまでは塾にいた。
(移動中や自宅で勉強する習慣はない)
好きな参考書、お勧めの参考書
『現代文読解力の開発講座(駿台受験シリーズ)』

合格体験記

元々、マイペースが好きだから

集団授業は嫌いです。武田塾が強調する「授業で成績が上がらない」こと以前に、分かっていない人たちのペースに合わせる授業はストレスだし、自分が分かっているところを何度も授業されるのにも腹が立ちます。
高2の終わりの頃、駅で武田塾のチラシを受け取りました。すぐに目に飛び込んできたのが「授業がない」という内容のキャッチコピーです。周りの生徒が結構早くから塾に通っていたので、ちょっと不安になりかけていた時期です。集団授業に飽き飽きしていた自分には、絶妙のタイミングでした。
武田塾ならば自分のペースで、自分の分からないところだけを先生に訊けます。さらに自分の考えと同じで、メインは志望校合格までのルートに基づいた参考書を使った自学自習です。そして週に一度の特訓で勉強の管理をしてくれるので、あとは自分の都合に合わせて勉強すればいいだけです。
これほど自分にピッタリ合った塾はないと、すぐに入塾しました。

関関同立以上には行きたいと思っていた

もちろん少しでも上の有名大学へ行きたいのですが、せめて関関同立には行きたい思っていました。漠然とですが、そこそこの大学を出て、教員免許も取って、学校の先生になって、ダンス部やバスケ部の顧問なんてのもいいかなーと思っています。
高校ではダンス部に所属していて、ポップ、ロボットダンスのようなものをメインにやっていました。コンクールなどでは結構予選落ちが多かったのですが、ダンスバトルで一度だけ、関西地区のベスト8まで勝ち残ったこともあります。
それはともかく、第一志望の学部は心理学部です。なぜか小学生ぐらいの時から心理学に興味があったのです。たぶん人を手玉に取るのが好きだからでしょう。人の行動の裏側にある心理を読み解くことを学びたいと思いました。
心理学には数学が欠かせないとも聞きますが、まあ適当にこなせればいいかなと思います。あまりくよくよと悩まないタイプですから、「関関同立ぐらいなら、どうせ受かるやろ」「関関同立で教員免許を取れば、教員になれるやろ」と思っていました。

武田塾で感じたこと、思ったこと

駅で受け取ったチラシの通り、授業もなく、自由に勉強ができます。自分のペースで勉強出来て、それでなおかつ志望校合格へ向けてのペース管理をしてもらえるのですから、自分にはピッタリでした。チラシを見たときの第一印象通りだったと言えます。
ペース管理は武田塾に任せ、武田塾のルートどおりに勉強すればいいだけです。自分の場合は入塾した頃のデータはありませんが、高1は偏差値60で、高2でも60前後、高3は英語が65前後、数学は50~60、国語は50前半から伸びていって60に届かないくらいです。このように結構変動があるものの、武田塾に入った後は、だんだん伸びていったと実感しています。
自分はそれほどガツガツと勉強するタイプでもないので、悲壮感を漂わせて受験勉強に取り組んでいる受験生を見ると、正直なところ「馬鹿かー!」と思います。明確な夢があるのなら分かりますが、大学入試そのものが目的となっている人生なんてオシャレじゃないし、下らないと思います。
僕の場合は逆に、受験直前期になっても勉強し過ぎないようにしていました。勉強も、焦れば焦るほど空回りするので、来週までにやる課題やペース管理は武田塾に押し付けて、マイペースです。

聖人君子じゃないからサボるし、怠けるし

ペース管理をしてくれて、折々の時期に何を勉強するかも教えてくれるという武田塾ですが、残念ながら日々の勉強の管理は自分自身です。
ルート(合格までのカリキュラム)に沿って毎週宿題を出され、4日間は宿題をして2日間は復習をして、残る1日は確認テストなどの特訓を受ける日々が続きます。面倒くさくなって、「やりたくないな」「やってらんないよ」と思うことの連続です。
そんなときは、とりあえず座って、とりあえずペンを握って、とりあえず参考書を開きます。
携帯電話やiPodなどの電源をすべて切って、とりあえず勉強に向き合う準備をします。それでも寝てしまうことも多いのですが、とりあえず勉強に向き合うことにしていました。
それでも毎週、宿題(課題)が出てきます。サボっていたかどうかも確認テストで見え見えになります。ルートの通りにやらなければ志望校に合格できません。武田塾のルートは志望校合格までのムダのない、最短距離から割り出していますから、確認テストがクリア出来ないということは、即不合格ということです。
これ以上の自分に合った塾は無いけれど、やはり勉強って辛いものですね。
勉強は楽しいって人もいますが、僕は勉強が楽しいなんて思ったことはありません。もちろん何かが出来たり成績が上がると嬉しいのですが、「勉強が好きだ」なんて人は奇人変人で、遊ぶことの楽しさや人生の楽しみ方を知らない人のように思えるのです。

自学自習出来ると思ったけれど、苦手な数学で四苦八苦

得意科目は英語です。中学の頃に「英語を喋れる人って格好良いなあ」と思ったのがきっかけですが、さらに洋楽の影響もあるかもしれません。洋楽を聴いたときに、これを歌えたら格好良いなあと思ったのです。マルーン5(Maroon 5)やジャスティン・ビーバーが好きです。武田塾では最初、このように好きで得意だった英語をさらに勉強して得点源にしようと、英語のコースから取り始めました。
一方で数学は、嫌いではないものの苦手な科目です。それでも基本はそこそこ出来ていたので、武田塾方式の参考書を使った自学自習をすれば何とかなるんじゃないかと思っていました。
受験勉強を始めた頃は、参考書を読んで、分からないところが余りなかったのです。少し調子に乗っていたので「オレは絶対、参考書だけで出来る」という確信があったのです。
ところが応用問題などレベルが上がってくると、「何をやっているのか分からん」などということが多くなります。それでなくとも関西学院大学の数学の試験は、記述もマークも両方あるのです。大問が3つあって、2つはマーク式、そしてもう一つは完全に記述問題です。
そうなると武田塾の先生に分からないところを教えてもらいたいし、何よりも記述問題について「これでいいんですか」「どこまで書けばいいのですか」と見てもらいたくなります。
僕の場合は、センター試験の直前になって数学のコースも受けたのですが、辛うじて間に合ったという感じです。少しでも苦手意識のある人は、やはり指導を受けた方がいいようです。記述問題について、「ここは書かなくていいよ」「ここはもっと詳しく書いた方がいい」などとアドバイスしてもらったことが大きかったと思います。

スランプというべきか、成績が伸び悩んだこともあった

武田塾に入ったのは、合格までのペース管理をしてもらいたいことと、疑問点が出たときに訊きたいからですが、それ以上にもう一つ、自分が勉強する環境を作りたかったのです。
心理学を学びたいという気持ちの反映でしょうが、客観的に自分を分析する習慣が付いています。自分にとって今何が必要かと考えたときに、勉強できる環境を作ることが欠かせないと思ったのです。
その点でも武田塾は、僕には向いていたようです。自習室へ行くと、ちょっとガリガリ勉強し過ぎだぞと気に入らない受験生もいますが、いつでも分からないことは訊けるし、僕みたいに集団授業が嫌いで、自分のペースを乱されたくない人間にとっては好都合でした。
それほど恵まれた環境でも、多少は成績が伸び悩んだ時期がありました。それがセンター試験の直前で、過去問や模試に取り組んでいた時です。「ぜんぜん成績が伸びひんやんけ」とヤケになりそうな時期が続き、勉強が嫌で、嫌で仕方がなかったのです。
過去問をやって答合わせをしても、「あーあ、今回も前と同じ点数や」という感じです。たとえば英語ならば200点満点中160点がずっと続き、国語もずっと140点が続くという状態です。自分の置かれている状況は冷静に分析していても、成績が伸び悩み始めると焦ります。これが僕にとってのスランプでした。

悩んでも仕方ない。ただひたすらやるしかない

悩んでいてもどうにもならないので、間違えた過去問をもう一度解き直します。出来るようになるまで、ただひたすら間違えた問題を解き直していました。
こんなときは間違えた問題を集めたノートを作ること(負の歴史ノート作り)が有効だそうです。さらに基礎の問題集に戻って、何周もやり直すことも有効なようです。みなさんにはお勧めしますが、僕自身はやらずじまいでした。やらなかった僕が言うのも可笑しいですが、これは絶対にやった方がいいと思います。
僕の場合は、ひたすら間違えた過去問を解き直し、きちんと答合わせをして、間違えたところを確認していくという方法を取りました。さらに応用・発展問題をひたすらこなしました。 そのことによって、勉強法とすれば必ずしも正解ではなかったと思いますが、何とか入学試験本番までには合格ラインぎりぎりまでには成績を伸ばしました。
センター試験直前にスランプに陥って、それでも猛烈に足掻(あが)くことによって、センター試験に間に合ったというところでしょうか。
自信もなく、不安な状態のままでセンター試験を受けたのだけれど、答合わせをしてみたら、「ヨッシャー!結構合ってるぞ」って感じです。辛うじて救われたって気持ちでした。

受験勉強の期間も、受験直前の過ごし方も自分流だった

勉強はやり過ぎない方がいいと心底思っています。
合格体験記というと「このように工夫しました」だとか「このように頑張りました」という内容がほとんどだと思います。僕のように「勉強はやり過ぎない方がいいですよ」なんて合格体験記は受験生にとっていいのかどうか分かりません。
そのような僕の場合ですが、武田塾の宿題という明確な課題はあるものの、今日は英語をやろうかなとか、今日は数学を攻めようと、その時に閃いた勉強をやっていました。
毎日必死になって、それも休みなく勉強する人がいますが、週に一度ぐらい勉強しなくても、成績はあまり変わりません。それって「やった気分になっているだけなんじゃない」と思います。僕が言いたいのは、「これからの人生だって山あり谷ありなんだから、もっと人生を楽しめよ」「大学受験だからってなんだよ。今が青春真っただ中だろ」ということです。
朝早く6時頃に起きて、8時頃には勉強を始めて昼までやって、食事をしたらまた勉強なんて人がいますが、あれじゃ体がもたないと思います。
受験直前期ならともかく、受験勉強って長期戦だし、精神的な負担も大きいので、丸一日勉強しない日だとか、今日の勉強は3時間だけだとか、今日は過去問を一つだけ解いて、答合わせをして終わりにするということも必要だと思います。メリハリを付けた受験勉強でないと、長期戦では持たないのです。

辛うじて合格、そして志望校に合格して思うこと

僕は受験直前でも、勉強をやり過ぎないことを心掛けていました。ダンスもしていたし、中学生の頃にバスケをやっていたので、昔のバスケ部仲間と学校の体育館でバスケを思いっきり、バテバテになるまでやっていました。オンとオフを切り替えようと意識的に過ごしていました。
ここまで、余裕を持った受験勉強をしていたようなことを書きましたが、合格をネットで確認した時は、「やったあー!」というよりは、「良かったなー」という安心です。滑り込めた、何とかなった、危なかったなという感じです。それでも合格発表当日、合格発表の日だということを忘れていました。勉強していたのかもしれませんが、多分遊んでいて、合格発表の日だということを忘れていたのでしょう。
夜になって「そうだー! 今日は合格発表だった」と思い出したのです。その場には母もいました。一緒にネットで確認して、合格を知ったのです。すでに夜の10時を過ぎていました。

みなさんには、ギリギリで受かっただけでしょうと言われるかもしれません。それでいいのです。
でも自分ではメリハリをつけて「やるべき時にはやる」「ただし悲壮感が漂うような受験生にはならないぞ」と心がけてきました。
事実、移動中には必ず単語帳を片手に持ってなんて受験生が多いようですが、僕の場合は音楽を聴いていました。勉強は武田塾の自習室でやる。それもダラダラとやるのではなく、限られた時間を使って集中してやると心がけてきました。
人それぞれです。それでも僕のような受験生が一人でも多く、志望校に受かってくれることを願っています。それでないと世の中、面白くないですからね。
ただし僕の場合は、武田塾に出合ったお陰で、合格までの最短距離の〝ルート(カリキュラム)〟を示してもらい、毎週の宿題で勉強を管理してもらい、分からないことは即座に訊ける環境を提供してもらい、〝一冊を完璧に〟という参考書を使った勉強法を教えてもらったから志望校に合格出来たのだと思います。
ぜひ、みなさんも栄冠を手にしてください。それもできるだけ省エネの受験勉強で合格されることを祈っています。

全統センター試験プレテストについて

成績状況と成績推移(2017年度)

成績状況

教科/偏差値
英語/64.5
リスニング/49.4
英語+リスニング/62.1
数学IAIIB/54.8
国語/59.4
英国数総合/59.4

成績推移

第1回全統マーク4月
英語/66.1、リスニング/67.4、数学IAIIB/52.8、国語/55.0
(物理基礎/55.8、化学基礎/45.5、倫理政経/44.6、世界史B/41.6)
第2回全統マーク8月
英語/65.6、リスニング/70.0、数学IAIIB/49.3、国語/58.3
(物理基礎/62.8、化学基礎/58.1、倫理政経/46.9、世界史B/48.8)
第3回全統マーク10月
英語/62.9、リスニング/53.2、数学IAIIB/56.8、国語/56.4
(物理基礎/60.0、化学基礎/51.6、世界史B/42.0、倫理政経/43.7)
センター試験プレテスト11月
英語/64.5、リスニング/49.4、数学IAIIB/54.8、国語/59.4
(物理基礎/54.4、化学基礎/52.0、世界史B/41.5、倫理政経/43.3)

志望校別成績・評価と今回の成績と推移(2017年度)

志望校別成績・評価

大学名・判定・教科/偏差値
(日程:前)神戸大学国際人間科学部
E判定
英語/56、リスニング9、数学/51、国語/72、(理科/40、地歴公民/50)

(日程:前)神戸大学経済学部経済学研究科
E判定
英語/74、リスニング/12、数学/69、国語/72、(理科/20、地歴公民/38)

同志社大学心理学部心理学研究科
C判定
英語/64.5、数学/54.8、国語/59.4

同志社大学経済学部経済学研究科
B判定
英語/64.5、数学/54.8、国語/59.4

(日程:セ)関西学院大学文学部総合心理―セ英併
C判定
第3回全統記述模試成績
英語/67.1、数学(II型)/61.9、国語/59.1
第3回ベネッセ・駿台マーク模試・11月
神戸大学経済学部経済学研究科
D判定

今回の成績

教科・科目数/偏差値
文系5教科8科目/58.1、国数英文系/62.6、国英歴文系/58.2
国語/60.9、現代文/61.6、現古/63.5
数学(1)(2)/54.5、数学(1)/56.9、数学(2)/52.7、数学IA/56.8、数学IIB/52.5
英語/64.3、英語・筆記/64.0、英語・リスニング/62.5
(世界史B/49.2、倫理・政経/39.0)、(理科基礎計/59.8)、(物理基礎/64.0)、(化学基礎/52.4)

成績推移

2年7月:記述
3文69.6、国英67.9、国語57.5、数学62.0、英語71.3
2年11月:記述
3文/66.5、国英/65.1、国語/57.3、数B/60.8、英語/67.0、(理科基礎/59.1、物基/64.3、化基/53.4)
2年1月記述
5文/58.3、3文/62.1、私文/57.2、国語/53.8、数B/52.8、英語/66.6、(日B/44.7、理科基礎/59.3、物基/62.6、化基/54.5)
3年6月マーク
5文/57.7、3文/62.6、私文/58.8、国語/54.1、現文/54.1、現古/52.6、数学(1)(2)/58.4、数(1)/57.7、数(2)/59.0、英語/66.3、英語筆記/66.1、リスニング/62.9、(世界史B/42.2、倫政/50.2、理科基礎/49.1、物基/42.1、化基/56.3)
3年9月マーク
5文/60.3、3文/63.2、私文/62.2、国語/59.0、現文/56.4、現古/57.9、数学(1)(2)/57.6、数(1)/59.4、数(2)/56.1、英語/65.2、英語筆記/65.5、リスニング/60.4、(世界史B/52.0、倫政/55.1、理科基礎/51.8、物基/54.4、化基/45.8)
3年10月記述
4文/57.4、3文/60.8、私文/57.3、国全/56.0、現文/54.0、現古/55.9、数Y/58.4、英語/64.5、(世界史B/46.6、倫政/49.0)
3年11月マーク
5文/58.1、3文/62.6、私文/58.2、国語/60.9、現文/61.6、現古/63.5、数(1)(2)/54.5、数(1)/56.9、数(2)/52.7、英語/64.3、英語筆記/64.3、リスニング/62.5、(世界史B/49.2、倫政/39.0、理科基礎/59.8、物基/64.0、化基/52.4)
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【鹿児島大学】・【京都薬科大学薬学部】・【近畿大学薬学部】・【神戸薬科大学】に合格 堀 健太くん

天王寺校から鹿児島大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

サボり癖の浪人生活から逆転合格

堀 健太(ほり けんた)さん
名前
堀 健太(ほり けんた)
校舎名
武田塾天王寺校/1浪
合格した大学
京都薬科大学薬学部
近畿大学薬学部
神戸薬科大学

偏差値の推移

8月くらいまでは少し伸びた感じ。応用・発展へと進むと指数的に伸び始めた。さらに受験直前期に一番伸びた。入塾した頃はD判定、直前には一度E判定を記録したが、一気に逆転合格。

将来の夢

薬剤師か医療の研究者になりたい。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

高校時代に通っていた東進衛星予備校では成績が上がらないと分かったので、浪人を決めた後で、駿台、河合塾、四谷学院や武田塾を比較検討した。その結果、武田塾以外は東進の二の舞になると思い、最終的に武田塾を選んだ。

②武田塾の勉強法で成績は?

武田塾へ入塾すると同時に、数学、物理、化学、英語の4教科を履修した。夏(8月)からは国語も履修した。どの教科も基礎をやっているときは成績が少々変わる程度だったが、応用・発展となっていくに従って一気に上がった。

③武田塾に入って良かったこと

指導してくれる先生が親身になって、分かるまでずっと嫌な顔をせずに勉強を教えてくれた。個人的な相談にも乗ってくれた。勉強をサボったら、すぐバレるのも武田塾の特訓の特徴だ。確認テストだけでなく「これを説明して」などと講師の先生は勉強の進捗状況を確認するためのさまざまな努力をしてくれる。その上で、次に何をすべきかを週ごとの課題として与えてくれるので、着実に実力を付けることが出来た。

堀健太さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
私立明星高等学校(偏差値68~70)
受験相談の時期
受験相談は浪人が決まった3月中旬。
入塾時期
入塾は3月後半(それまでの1週間は遊び回っていた)
受験科目
私立:数学(数IA、数IIB)、英語、化学(物理も必要なこともあった)
センター利用:5教科7科目 数学(数IA、数IIB)、物理、化学、国語、英語
志望校を選んだ理由
伝統のある単科大学であり、関西圏にある薬学部の中では入学後の環境や卒業までの教育内容が一番優れていると聞いていたから。
得意科目:理由
化学・物理・古文:武田塾のルートをしっかり達成していけば8割は安定して取れる。点数の上下動もあまりないから。
苦手科目:理由
現代文:点数の上下動が激しくて、安定しなかった。
他の塾や予備校の経験
東進衛星予備校(高校3年次)
高校時代の部活動など
生物部(化学にも近い部活)・書記を担当した。
受験勉強期間中のタイムスケジュール
8:00 起床
8:30~11:30 自宅で勉強/昼食後武田塾へ
13:00~21:00 武田塾の特訓及び自習 →移動・夕食
23:00~25:00 1日の復習・暗記科目
25:00 就寝
好きな参考書、お勧めの参考書
『化学重要問題集』
『良問の風』
『理系数学入試の核心』
この3冊のお陰で偏差値が急上昇しました。効率よく勉強できます。特に『理系数学入試の核心』がお勧めです。

合格体験記

予備校探しから浪人生活が始まった

通っていた私立明星高校は中高一貫の男子校です。
僕が高2のときに校舎のある場所が真田幸村の本陣跡だということが分かって、高3のときの真田丸の撮影と放送で凄く盛り上がったことがあります。タモリも来ました。
高校では、生物部に所属していました。植物や動物を使った実験、バイオテクノロジーの基礎的な実験であるカルス培養などもやっていました。部員は30人ぐらいですが、それぞれが勝手な課題に取り組んでいました。だから個々人で昆虫を極めているとか海洋生物を極めているとか、特定の分野に精通していました。僕はサメの知識なら誰にも負けないと自負していますが、その話になると合格体験記なんて吹っ飛んでしまいますので、本題に戻します。

高校時代は東進衛星予備校に通っていました。
でも東進では、ぜんぜん成績が伸びませんでした。ほぼ横ばい状態で受験期に突入してしまって、悲惨な結果に終わってしまいました。東進の勉強の進め方が自分には合っていなかったと実感しています。
東進の勉強法は動画の授業を観ることです。動画を観て、確認テストをして、それが受かったら次々と先へと進めていく方式です。それを20回ぐらい繰り返しながら進めて行って、最後に総まとめテストを受けます。
その確認テストですが、問題がほとんど同じです。幾度か繰り返せば、数字を変えてあるだけのような問題なので、簡単に出来るようになります。
その内容が理解できていなくても、確認テストに受かってしまうのです。一応は、理解できていなければ先へ進ませない壁のようなものは設けていても、その壁が余りにも低すぎるのです。

だから出来たつもりでも、実際には出来ていないことが多かったのです。
誰でも時間があれば簡単に突破出来て、「自分にも出来るようになった」という妄想の中に引き込まれていきます。だからどんどん難しい講座に手を出して行きます。結局は基礎の部分が固まっていないから、砂上の楼閣のように積み重なれば積み重なるほど、自滅していきます。
このように基礎が固まっていないから、模擬テストを受けても上下動が激しくて、一度は出来るようになっても、その次に同じような問題が出ても解けないことの連続でした。
東進の授業を受けて「自分は出来る」「出来るようになった」という妄想と錯覚に陥り、次々と新しい問題や難しい問題に手を出して、その挙句に受験で失敗したのです。

駿台、河合塾、四谷学院も比較検討したけれど

浪人することになってすぐ考えたのが、予備校を替えることでした。
浪人を決めた直後、東進衛星予備校ではダメだと分かっていたので、駿台、河合塾、四谷学院、武田塾などの塾や予備校を検討しました。
駿台や河合塾は授業中心なので、結果的には東進と変わらないと候補から外しました。武田塾同様、四谷学院にも結構惹かれたのですが、それもなんだか東進の二の舞になる気がしたのです。
僕はいつも、いい方にいい方にと考えるタイプで、無意識のうちに理想に走るというか、そのことで現実逃避してしまうことが多いのです。東進でも結局は勉強している気分になって、出来るようになったと思い込んでしまったのです。
そのような僕には、東進の苦い経験から、本当は身に付いていなくても、気付かずに進んでしまうことへの恐怖がありました。

自分の甘さを是正してくれる塾でないと意味がないと思ったのです。
そして最後に候補に残った四谷学院と武田塾を比較すると、武田塾の方がより完璧に、あいまいさを残さずに着実に勉強させるシステムのように思いました。
武田塾は勉強を教える塾というよりは、勉強方法を教える塾であり、志望校合格までの道のり(ルート)を示してくれて、その目標へ向かって着実に前進するように自学自習を管理することを目的とする塾だと理解したのです。
そのために週ごとに課題(宿題)が出され、一週間後の確認テストと特訓で達成状況を把握して、また次の一週間の目標が提示されます。これなら幾ら都合よく自分を誤魔化してしまう僕にだって、一つひとつの課題を確実に身に付けていけるような気がしました。

自分のペースで進めていけて、それでもサボれない武田塾

武田塾への入塾当時、京都薬科大学の評価はD判定でした。
現役の時に東進で先へ先へと講座を取った弊害でしょうか、やはり基礎部分というか、参考書の問題集などの始めの部分が不確かでした。
武田塾に入ったのが浪人してからなので、現役時に比べると毎日の勉強量が多くなりました。
1日1日のやる量が多くなると、やった分だけ質問回数も多くなります。それなのに武田塾の講師の人たちは、質問が5問あろうと6問あろうと、時間の許す限り教えてくれます。
それどころか「キミは、ここが弱いんちゃうか」と、質問に関連付けたアドバイスもしてくれます。

武田塾に一番求めていたのは勉強の管理です。
毎回、1週間分の宿題(課題)が出され、参考書を使った自学自習です。まずは4日間で指定された範囲を繰り返し読み込みます。その後の2日間は復習日です。学んだことは必ず復習するのも武田塾の勉強法の大切な原則です。そして1週間後に確認テストと特訓です。
武田塾の特訓では、サボったら直ぐにバレてしまいます。確認テストで出来たとしても、中途半端な勉強しかしていなければ、特訓の時に「これを説明してください」と訊かれたら万事休すです。あるいは数学の特訓で「なんでこの公式を使ったの?」と訊かれたら、ちゃんと理解していない限り答えられません。
自分の思い込みや甘さで、無意識のうちに勝手に構築していたことなども、幾度も指摘されました。僕にとっては勉強をサボれないようにしてくれた武田塾の仕組みが最適だったのです。

一人ひとりの状況に合わせて基礎から着実に積み上げる

「近似計算が弱いね」「問題文をちゃんと読んでいないんじゃない?」
さらにこのように苦手なところとか、「こういうところが出来ていないよ」「ここの理解が甘いよ」と、参考書を使った勉強の進め方で良いところと悪いところを全部炙り出してくれる先生もいました。
そのこともあって、基礎をやっている時には、それほど実力がついているという実感はなかったのですが、応用問題や発展問題へと進むにつれて、指数的に伸びたというとちょっと大袈裟なのですが、一気に成績も上がり、初見の問題でも解けるようになっていきました。
さらにレベルが上がるにつれ、大問を一個取れるようになったというか、一つひとつの収穫が大きくなっていきました。その過程においても、指導してくれる先生がとても親身になって質問や相談に乗ってくれました。
嫌な顔一つせずに、それこそ「もっと聞くことないの?」という雰囲気です。分かるまでずっと勉強を教えてくれて、個人的な相談にも乗ってくれました。

もちろん叱るべき時は叱るというか、厳しく注意されます。
「お前、大学入試に受かる気があるのか」「それはお前が悪いんだろ」みたいに、ちょっと年上の兄貴分から注意されている気分です。僕の状況にも合わせて、励ますところと注意するところを分けてくれるのです。
中弛みなのか勉強する気にならなかった時期がありました。あるいは勉強する気はあっても思うような点数が取れない時期もありました。そんなときは自分でも、「なんでやろ。こんなことやってたらアカンわ」という気持ちになります。
そんな心の動きが見えるのか、特訓などで「そういう気分やったら、これをやったらどうや」「もう一回、これをやってみるか」と、勉強法も含めて日々の生活の相談にも乗ってくれます。僕以上に、現状打開のための方策に悩んでくれることもたびたびありました。
特訓をしてもらっている先生と帰りの電車が同じこともあって、そんなときはずっと喋り続けて、悩みを聞いてもらったこともありました。

勉強法を知って、高校では嫌いだった勉強が好きになった

楽天的でポジティブなんだけど、中途半端で都合よく誤魔化してサボってしまう。
そんな僕を、サボらないように指導して欲しいと入塾したのが武田塾です。入塾当初は、数学、物理、化学、英語の4教科を履修していました。その頃は夕方まで、数学、物理、化学だけをやって、寝る少し前に英単語を覚えるといった毎日です。
その後も受験直前まで、3分の2は理系科目なので、計算や頭を使う系は午前中から午後にかけて、その後は寝る寸前まで暗記系の勉強という時間配分でした。

やはり数学や物理や化学って、それでなくてもやることが膨大です。
先に書いたように、最初のうちは基礎を再構築するための勉強が中心だったので、模試の成績などへの影響は限定的でした。それが応用・発展へと進むにつれ、「指数的に」と表現しましたが、2倍ぐらいに点数が伸びました。レベルが上がるごとに点数の上がり具合も大きくなっていく感じです。
そうなると勉強が楽しくなってきます。高校時代は嫌で嫌で仕方なかった勉強が好きになってしまったのですから、当の本人の僕自身がビックリです。
実は現代文以外は、数学も物理も化学も、そして古文も、武田塾のルートをキッチリやれば80%は取れるようになるのです。やっただけの成果が上がるのですから、勉強もやればやるだけ楽しくなります。

苦手科目は現代文です。古文にも波がありました。
模試などで現代文は、取れるときは取れることもあるのですが、まったく取れないこともありました。このままじゃヤバいと、8月になって国語も履修することにしました。
現代文は、2択で迷うことはないのですが、文章を理解できたのかどうかも自分では分からないのです。その後も努力はしたものの、センター試験でも現代文で失敗して、古文の方は悪くなかったからヤバイ状況にまではならなかったものの、国語自体は良くない状況です。
いつも点数の上下動が激しくて安定しない、こうしないといけないと何となく分かっていても、それが付いて来ないという状況でした。それ以外の教科については、武田塾のルート通りやれば点数が上がらない方がおかしい。絶対80%は取れるはずだと思っています。

スランプなのか、中弛みなのか、サボり癖再燃なのか

4月に武田塾へ入って4か月目が過ぎた頃、最初のスランプがやってきました。
たぶん武田塾のやり方に慣れてしまって、「まっ、これくらいでいいかー」みたいな気の緩みが出てきたのです。そういった弛みがマックス状態になって、それが一週間ほど続きました。
その間に4回ぐらい特訓があったのですが、次々とやり直しが続きました。やり直しも当たり前なのですが、連続してやり直さなければならなくなるほど勉強する姿勢が甘くなっていたようです。
「さすがに、ちょっとマズいんちゃうか」「ちょっとヤバいでー」と校舎長から言われました。
「お前、武田塾の勉強法を、もう一度言ってみろ」と言われ、武田塾の勉強法を復唱したら、「それが今、出来ているか?」と訊かれました。本当に忘れていた部分もあって「出来てないです」と答えたら、「お前、第一志望に受かる気あるんか」と叱られました。

このような弛みとサボり癖の克服のために武田塾を選んだのです。
大まかには出来ているけれど脇が甘いというか、気の緩みが毎週の課題の習熟度に影響してきます。そういうことも含めて、徹底的に管理してくれるのが武田塾です。
自分でも「このままではマズイよなー」と思い始めたときには、必ずと言っていいほど「お前、なにしてんねん」、うかつなミスをすると「何でこんなところでミスるんや」と、瞬時に叱咤激励が飛んできます。特訓の先生から「ちょっと理解が甘かったですね」と遠慮気味に指摘されたことも、「あかん、お前何やってんねん」と容赦有りません。そこまでいつも僕のことを見てくれているんだと、本当に有り難かったですね。
8月頃のスランプは、中弛みが原因の一つだったので、校舎長からの叱咤と、もう一度しっかり武田塾の勉強方法を見直すことで立ち直ることが出来ました。

受験直前期、センター試験直前に、もう一度壁にぶつかりました。
それが受験直前のストレスによるスランプだったのか、それとも一時的に足踏み状態に陥ったのかどうかは分かりません。センターの模試の成績が伸びなくなったのです。
受験本番が近付くにつれ、周りの人たちの成績が上がってきたこともあるのでしょう。河合塾の模試で、それまではC判定やD判定だった京都薬科大学の評価がE判定になってしまったのです。
河合塾の模試って、同じE判定でも、どの程度の順位にいるのか予想が付きます。それが中の下っていうところだったので、「ああー、やらかしてしまったー」って感じです。自分では全教科が少し下がった程度にしか思っていなかったのですが、模試の順位にはシビアに出ていました。

スランプ克服、受験直前にグググっと成績が伸びた

受験直前になってのE判定ですから、ショックなんてもんじゃありません。
すでに1浪目ですから後がありません。いくら能天気でポジティブな僕でも落ち込んでしまいます。「これじゃセンターで足止めされるな」「さすがに、ちょっとヤバいな」「あーあ、何をやっても上手く行かんな」と、マイナスイメージに覆い尽くされていきます。
いつもなら、ストレス解消にユニバーサルスタジオに行くかカラオケに行っていました。今回もユニバーサルスタジオに行きたかったのですが、親が許してくれません。やむなく友だちと映画を見に行ったり、天王寺周辺を歩き回っていました。

後は武田塾の講師の先生や校舎長を捕まえて話すことです。
先生たちと話すことで、徐々にモチベーションが回復していきました。実際、模擬試験のさんざんな結果とは裏腹に、武田塾の先生に初見の問題を出してもらうと、出来るのです。
武田塾へ入塾した当時は、何から手を付ければいいのかさえ分からなかった問題ばかりだったのです。それが、それこそ出してもらった初見の問題とか、問題集で取り組んだ新しい問題でも、まったく手が出ないなんてことはありません。
だから講師の先生や校舎長から「キミなら大丈夫だよ」と励まされたときにも、言葉通りに「焦らなければ大丈夫だ」と思うことが出来たのです。
試しに問題集から選んで解いてみた過去問も、京都大学の過去問だと知って、「この程度の問題ならオレ、京大へ行けるやん!」みたいな感じです。武田塾のルートに従ってやって来て、センター試験でも少なくとも現代文以外は80%以上は取れると確信を持っていました。

これから受験に挑まれる方へ

大丈夫だと思っていても、合格発表を見るのは怖いものです。
大阪薬科大学や神戸薬科大学はセンター利用で問題ないと思っていたのですが、第一志望の京都薬科大学薬学部は合格発表まで、少しだけ不安を抱えていました。
京都薬科大学の数学は、穴埋めする問題だったのですが、プラスのところにマイナスが出てくることがあったのです。数学を得点源としていたので、数学では最低でも80%以上を取ることが必要だったのです。だから、「いけてるのかな-?」みたいな不安がありました。
だからでしょう。合格発表を見たときに一瞬頭が空っぽになりました。2、3秒経って「あっ! 受かってる」って感じです。次の瞬間に喜びと驚きが一緒に押し寄せてきました。

志望校に合格するためには、諦めずに最後まで頑張ることが必要最低条件です。
それなのに、誰もが分かっているはずの「諦めない」「最後まで頑張る」ということが難しいのも大学受験のようです。僕の場合も夏の終わりのスランプやセンター試験直前の成績不振など、幾度も壁にぶつかりました。
自分の甘さやサボり癖が主な原因だったのですが、その都度武田塾の先生方から叱咤されて立ち直ることが出来ました。その点では、浪人を決めたときの塾の選び方が最適だったようです。
武田塾を選んだのは、ここならサボりたくてもサボれそうもないと思ったからです。管理してもらうことで自分の弱点を克服しようという狙いが、やはり的を射ていたようです。

大学受験って、我慢の連続で心が折れたら負けなのです。
みなさんには諦めずに最後まで頑張って欲しいと思っています。そうすれば自然と道が拓けてくると思います。
そのためには自分に合った塾選びも欠かせません。僕の場合は勉強を管理してもらいたくて武田塾を選んだのですが、それこそ人それぞれで、自分に合った塾や予備校があるはずです。
もしかすると、志望校に合格するためには、諦めずに最後まで頑張るということと、さらに自分に合った塾(予備校)を選ぶということも必要最低条件なのかもしれません。
みなさんが諦めずに頑張ることと、自分に合った塾(予備校)に出合うことを願っています。

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【鹿児島大学】に合格 森 敬祐くん

河内松原校から鹿児島大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

それでもやはり、悔いを残す受験勉強はして欲しくない

森 敬祐(もり けいすけ)さん
名前
森 敬祐(もり けいすけ)
校舎名
武田塾河内松原校/1浪
合格した大学
鹿児島大学工学部情報生体システム工学科

偏差値の推移

少しずつ上がった。(5教科7科目の合計で5上がったのがすごい)、鹿児島大学工学部を受験すると決めたのが後の方だったので判定をとっていない。

将来の夢

決まっていない。大学院にも行こうと思っている。漠然と。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

兄も通っていたし、母からも武田塾がいいと薦められたから。

②武田塾の勉強法で成績は?

武田塾に入る前、浪人が決まる前は偏差値50くらいだったのが、秋頃に55になった。(鹿児島大学の偏差値は52くらい)

③武田塾に入って良かったこと

確認テストと特訓で、否応なしに勉強することになること。一つひとつ確実に実践力を付けないと先へ進めないシステムも凄い。

森敬祐さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
私立四天王寺羽曳丘高等学校III類(偏差値58)
受験相談の時期
受験相談はなし
入塾時期
浪人が決まった後、4月中旬入塾
受験科目
センター試験:数学(数IA、数IIB)、物理、化学、国語(現代文・古文・漢文)、英語(リスニングあり)、現代社会
2次試験:数学・物理・英語
志望校を選んだ理由
親の勧めと、自分がやりたいことがあった。
得意科目:理由
物理(特に力学):数をこなせば出来るようになる。
苦手科目:理由
化学:覚えるのが苦手だから(暗記が苦手)。
他の塾や予備校の経験
東進衛星予備校 高3から1年間だけ
高校時代の部活動など
硬式テニス部
受験勉強期間中のタイムスケジュール
8:00 起床
9:00~11:00 自宅で勉強(主に理系科目)
13:00~22:00 塾で勉強(自習・特訓、休憩込み)
好きな参考書、お勧めの参考書
『良問の風 物理』
すごくシンプルな問題集。解きやすくスラスラ解ける。直接試験には役に立たなかったが、物理への苦手意識を払拭してくれた。

合格体験記

鹿児島大学に入れたことは、すごく嬉しいのですが

高校時代の成績から考えると、もし現役で入れたとしても国公立大学だったら一番下の大学だったと思うので、1浪して合格した鹿児島大学工学部は正真正銘、夢の逆転合格だったことは間違いありません。それでも最初に白状してしまうと、本当に行きたかったのは大坂教育大学でした。
大坂教育大学の教育学部には教育学部数理情報学科という学科があって、そこでもプログラミングが学べるのです。

大学受験に挑戦した人の大半が思うことなのでしょうが、「もっと頑張っておけばよかった」「あのとき、もうひと踏ん張りしていたら」と、何かしらの悔いが残るものです。
僕が言うのもおこがましいのですが、それでもやはりこれから大学受験に挑む人たちには、「悔いのないように頑張って欲しい」と思います。
このような僕でも一浪してそれなりに頑張ったお陰で、第一志望に上げていた大阪教育大学は無理でも、鹿児島大学工学部に受かることが出来たのです。そのような僕の合格体験記なんて、余り役には立たないと思いますが、こんな奴もいたんだと参考にしてください。

高校時代に通っていたのは東進衛星予備校

僕の出身校、四天王寺羽曳丘高校は私立の共学校です。
僕はIII類といって四天王寺羽曳丘高校の中では一番上のクラスに所属していたのですが、それでも偏差値は58ぐらい、進学先は地方の名もない公立大学に合格する程度でした。
硬式テニス部所属なんていうと大会出場を目指して練習に明け暮れる部活のように思われますが、朝練もなく、男女混合で和気あいあいとボールを打ち合うようなテニス部でした。高3の夏の卒部まで所属していましたが、ちょっと疲れるものの勉強に支障をきたすほどではありません。

高校3年生になった頃、そろそろ受験勉強を始めなければと東進衛星予備校に通い始めます。
と言っても、部活をやっているときは東進に行くのがめんどくさくって、最初は余り行かない状態が続きます。やがて部活が終わったら直接東進に行くようになりました。
東進は、勉強するための自習室が欲しくて行き始めたのですが、次々と授業を取らされることになります。それでもある程度は自制して授業も取っていたので、映像授業も分かりやすくて良かったし、自習もそれなりに出来たので、悪い印象はありません。
ただし大学受験に役立ったかというと、「それなりに」としか言いようがありません。

母の一押しで、兄も通っていた武田塾へ

浪人するとなると、予備校を決めなければなりません。僕にとっては東進も悪くはなかったのですが、東進のままでは成績が上がるとも思えません。そんなときに「武田塾がいいよ」「武田塾にしたら」と繰り返し言っていたのは母です。母の一押しの予備校(塾)が武田塾だったのです。

実は僕には兄がいるのですが、その兄も浪人して武田塾に通っていたことがあります。そのときに、兄の成績も上がったし、勉強法を身に付けることも出来たようです。だから母の中では、すごく武田塾の評価が高かったのだと思います。
そこまで母に言われると、武田塾に行くことが当たり前のようになってしまいました。
大概の場合、武田塾へ入塾する人は、まずは受験相談を受けて、その次にお試し特訓を受けて、その後で入塾するそうです。でも僕の場合は受験相談らしい受験相談など抜きに、「武田塾へ入塾したいんですが、いつ行けばいいですか?」という電話をすることから始まりました。

その後、実際に武田塾に通うこととなり、ルートを提示されて、「授業のない」武田塾ですから武田塾でいうところの特訓が始まります。そしてすぐに武田塾の仕組み、週イチで宿題が出されて1週間後に確認テストと指導がある仕組みに感心させられることになります。
その確認テストでは、8割や9割取らないとやり直しになります。早く進みたくても進めない、知識が確実に定着して実践できるようになるまでは先へ進めないのです。 率直なところ、「やらされている」という感じもあるのですが、後になって考えると、それが自分のためになったんだということが良く分かります。

僕の受験勉強、あれこれ

第一志望の大阪教育大学教育学部数理情報学科には届かなかったのですが、鹿児島大学工学部情報生体システム工学科には入れました。大阪教育大学が無理だったのは、頑張りが足りなかったからです。そして鹿児島大学工学部に合格できたのは、頑張ったからです。
すべてが自己責任なのは、大学受験なら当然のことです。その頑張ったことと、頑張り切れなかったことを列記します。

筋トレ英単語暗記法

お尻だけを地面に付けて、足と身体を浮かせて〝くの字〟になって耐えながら、必死で英単語を覚えるのです。「耐えられなくなるまでに、ここまで覚える」と決めてやっていました。
キツイし、必死になるので、意外と効率がいいのです。この筋トレ英単語暗記法で結構英単語を覚えました。何らかの負荷をかけて覚えるのがいいようです。

置かれた状況の自覚でスランプ克服

なかなか成績が上がらないことへの焦りでしょうか、夏ごろには目に見えてモチベーションが下がりました。担当講師から「浪人させて貰っているのだから、頑張らないと親に申し訳ないだろ」と言われ、改めて「そうだよ。自分は浪人中なんだ」と腹をくくり直しました。
もちろん浪人なんだから頑張らないといけないと思ってはいたのですが、改めて自覚したというか、自分の立場を再認識したことで勉強への意欲を回復しました。

『良問の風 物理』で物理が好きになる

この参考書で物理の得点が良くなったわけではありません。
似たような問題さえも今年の試験には出ませんでした。それでもこの問題集をやることで物理に対する苦手意識が消えました。
「理系に向いていないのでは」と思うほど物理が苦手だったのですが、問題を解いて、分からなかったらまた参考書に戻るというやり方を繰り返しているうちに、普通に物理の問題が解けるようになり、苦手意識がなくなりました。ちなみに並行して使った講義系の参考書は、『大学入試 漆原晃の物理基礎・物理[力学・熱力学編]が面白いほどわかる本』です。理系に進んだ兄に薦められたのです。

「考えて勉強しろ」と校舎長から言われ続けたこともある

夏ごろまでは武田塾から出される宿題をひたすらやっていました。やがて夏の終わりごろには、「考えて勉強しろ」と注意されるようになりました。なるほどと、考えて勉強するようになったのは秋になってからです。
たとえば数学ならば、分からない問題、解けない問題に出合ったときには、なぜ分からなかったかというところまで振り返ります。回答を見て、「あっ、ここで詰まったんだ」という原因を探し出し、「なぜこの考えが出てこなかったのか」を考えます。そうすることによって、「ここが苦手なんだな」という箇所が見えてくるのです。そこを意識すれば、解けるようになります。
それがどうやら、「考えて勉強する」ことのようです。

僕は出来なかったけれど、友だちが出来れば良かったのかも

13時に塾が開くので、オープンからラストまでいました。塾に行くまでの午前中は自宅で、主に理系科目をやっていました。
調子が出ない時などの気分転換も大切です。僕は友だちを作ることもなく一人で勉強していたのですが、行き詰まるたびに一人で悩むことも多かったので、友だちを作って相談できれば、すぐに解消できたと思います。
ただし武田塾の場合は講師の先生たちとの目線が同じで、相談しやすかったのが幸いしました。勉強の相談だけでなく、さまざまな話をして気分転換をしたり、勉強への意欲を掻き立てたりしました。
それでもやはり、友だちがいたら良かったのにと思っています。

もう一度言います。「悔いを残さないでください」

鹿児島大学工学部の合格者発表の当日、午前10時発表だったのですが、「もう結果が出てるなー」と思いながら30分ほどは見ずに過ごしていました。滑り止めに受けた私立が合格していたので少しは心の余裕もあったのですが、それでも鹿児島大学工学部の手応えは半々だったのです。
やがて「もう見るしかない」と合格者発表のサイトを開きました。

「受かってる」「あー、受かった」
「ウワ―っ!」て感じじゃなくて、後からジワジワと喜びがこみ上げてくるという感じです。
何度も受験番号を見直して、「ホントに受かってる」「よっしゃー、間違いないな」、「じゃあ、母親にLINEで伝えよう」と、意外と冷静というか、あるいは逆に気分がぶっ飛んでしまって何も考えられなくなっていたのかもしれません。

僕が鹿児島大学工学部に合格できたのは、宿題とテストの繰り返しで、合格までの『ルート』をやり遂げたからです。その背景にあるのは間違いなく武田塾の勉強管理法、半ば否応なしにでもやらざるを得なくなるような特訓システムのお陰だと思います。
それと同時に、「あの時、もうひと踏ん張りしておけば、大阪教育大学も合格できたかもしれない」と思います。頑張ったから鹿児島大学工学部に合格できた。もうひと踏ん張りが足りなかったから大阪教育大学に入ることが出来なかった。これが大学受験のシビアな現実です。
なぜそう思うかというと、武田塾から提示される『ルート』を着実にやりさえすれば、それが難関大学だろうと、大概の大学に合格出来るからです。出来なかったのは「やらなかった」に過ぎません。
みなさんが悔いのないように頑張って、志望校合格の栄冠を手にされることを祈っています。

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【関西大学】・【近畿大学】に合格 四ツ井田 凌くん

豊中校から関西大学、近畿大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

武田塾のショートカット勉強法で、たった3ヶ月で大逆転合格

四ツ井田 凌(よついだ りょう)さん
名前
四ツ井田 凌(よついだ りょう)
校舎名
武田塾豊中校/現役合格
合格した大学
関西大学政策創造学部
近畿大学総合社会学部

偏差値の推移

関関同立判定模試(11月23実施)
偏差値46.4

大学名:判定
関西大学:E判定
関西学院大学:E判定
同志社大学:E判定
立命館大学:E判定
京都産業大学:D判定
近畿大学:E判定
甲南大学:E判定
龍谷大学:E判定

全統マーク模試(2017年第2回)

教科(総合):偏差値
英語:57.4
国語:47.7
日本史B:39.8
総合(英国地公):48.3
総合(文系):48.3
大学名:判定
立命館大学産業社会学部:E判定
立命館大学政策科学部:E判定
関西大学社会学部:E判定
近畿大学総合社会学部:E判定

将来の夢

決まっていない。これから考えたい。だからこそ関関同立のどこかに入りたかった。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

「第一ゼミナール」という2対1の個別指導で教える塾に通っていたが、試験直前に、これでは関関同立に受からないとネットで調べて武田塾を知り、YouTubeの『武田塾チャンネル』を観て、頑張りさえすれば間に合うと思った。さっそく無料受験相談を受けて入塾した。

②武田塾の勉強法で成績は?

『偏差値の推移』にも書いたが、受験直前期でも関関同立どころか産近甲龍さえE判定だった。武田塾のショートカット勉強法がなければ関西大学に合格することなど到底不可能だった。

③武田塾に入って良かったこと

武田塾には一人ひとりの学力に合わせて志望校合格までの道筋を提案する『ルート』があって、その『ルート』を着実にやれば志望校に合格できる。このような単純明快な指針だからこそ、試験までわずか3か月間という土壇場からでも迷わず勉強できた。

四ツ井田凌さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
大阪府立千里青雲高等学校総合学科(偏差値55)
受験相談の時期
高校3年の10月末
入塾時期
受験相談の直後に入塾
受験科目
国語(現代文・古文)、英語、日本史B
志望校を選んだ理由
絶対、関関同立に入ると決めていた。
得意科目:理由
現代文:コツをつかんだら、すぐに成績が伸びた。
苦手科目:理由
日本史:覚えることが多く、一番時間を要する科目だから。
他の塾や予備校の経験
『第一ゼミナール』へ高3の10月まで通っていたが、このままでは志望校に受からないと武田塾へ移った。
高校時代の部活動など
サッカー部(フォワード、大阪府ベスト32に入った)高3の10月半ばまで活動していた。
受験勉強期間中のタイムスケジュール
~16:00 学校では寝て過ごし、16:00に塾へ行く。
20:00~22:00 自習や特訓。
24:00~2:00 帰宅後、ご飯・風呂・仮眠、その後6:00まで勉強、再び学校で寝ていた。
好きな参考書、お勧めの参考書
『きめる! センター現代文(学研マーケティング)』

合格体験記

このままでは、関関同立なんて100%不可能だ!

試験まで、あと3ヶ月しかありません。それなのに模擬試験の成績はE判定です。志望する関関同立だけでなく、ワンランク下の産近甲龍でさえもE判定でした。
それまでも、生徒2人に対して1人の先生が教える「第一ゼミナール」という個別指導塾に通っていました。「勉強をしてる」と言い切れるほどではないのですが、少しは勉強する習慣もありました。大学受験のための勉強の王道である「システム英単語」を使った英単語の暗記など、基本的な勉強もしてきたつもりでした。それなのに成績は伸び悩んでいたのです。
高校ではサッカー部に所属していました。ポジションはフォワードです。大阪府のベスト32に入ったこともあります。僕も高3の10月半ばまで活動していました。
結構ハードな練習もしていたのですが、サッカーが勉強ができなかった理由とは考えていません。成績が上がらないのは勉強法など、サッカー以外に原因があると思っていました。

それでも、どうしても行きたかった関関同立

関西大学への合格が決まった後、髪を切りに行きました。「受験が終わりました」と言ったら、「どこの大学に行くの?」と訊かれ、「関西大学です」と答えたら、「おおー、凄いやん」と言われました。その時に改めて、関西大学のブランド力を実感しました。

僕が通っていた千里青雲高校は新しくできた高校だったので、「千里星雲です」と言っても「ああ…う、うん」と言われるような、あまり知られていない学校です。でも「関西大学です」と言えば、「そうかー、関大かー」「おっ、関西大学なんだね」と即座に反応してもらえます。
さらに僕の家が関西大学に近かったので、関西大学の頭のよさそうな学生さんを小さい頃から見ていました。関西では私大と言えば関関同立ですが、その中でも関西大学が僕にとっての憧れの大学だったのです。それでも関西大学に入るには、どのようにすればいいのか見当がつかず、部活に明け暮れていました。
それでも、どうしても関西大学に入りたい。僕のこれからの人生の目的も、関西大学の中でこそ探せるとまで思い込んでいました。

土壇場で見つけた武田塾のYouTube動画

「授業がないのに、なんでこんなに高いんや? 他を探した方がええんちゃうか」
これが、参考書を使って自学自習を指導する武田塾という進学塾があるから、そこへ行きたいと母に頼んだときに返ってきた言葉です。確かに僕自身も「なんでこんなに高いんやろ」と思っていました。
それでも「もし関関同立に合格しなかったら、お金は全部、僕が払う」と言いました。母にも武田塾のパンフレットを見せて、「授業だと、この程度しか進まないけど、参考書を使った自習だったら、家にいるときでも、どんなときでもできるから、これだけ伸びるんや!」というように話しました。

関関同立に合格するなんて、今まで通っていた「第一ゼミナール」では当然不可能だし、他の予備校でも間に合いません。この武田塾へ行く以外に、関関同立に合格するなんてことは絶対不可能です。
この時点での僕の偏差値から考えると、奇跡を起こすことができる進学塾は、『武田塾』しか残されていなかったのです。
確かに母の言うとおり、武田塾に入るための当初費用も、月々の経費も安くはありません。それでも、ネットで武田塾を見つけ、武田塾のYouTube動画『武田塾チャンネル』を幾度も見ていたので、それだけの価値があると確信していたのです。
だから母を説得して、すぐに武田塾の無料受験相談を受けて、すぐに武田塾に入れてもらいました。

武田塾の仕組みとショートカット勉強法

武田塾の勉強法って、僕流に言えば〝凄くスマートな勉強〟の方法です。
受験生一人ひとりの現状から、志望校に合格するために必要不可欠な最低限の課題を列記して、〝いつまでに〟〝どのようにやるか〟を提示してくれます。
これが武田塾でいうところの『ルート』です。志望校合格のための道筋というか、順を追って確実に成し遂げなければならないカリキュラムのようなものです。

さらに僕の場合は、入学試験を目前に控えた、土壇場での入塾ですから、基本的な『ルート』をさらに端折ってショートカットの『ルート』を作ってもらい、大事なところだけを抑えるようにしてもらいました。これがいわゆる『ショートカット勉強法』です。
これらの『ルート』や、それを短期間用に凝縮した『シュートカット勉強法』も凄いのですが、「いつ」「どこまでを」「どのようにして」という参考書を使った宿題の提示から、一週間後の確認テストまでの流れが優れているのです。
まずは参考書の中のどの部分をやってくるかという、一週間分の課題が宿題として出されます。その自学自習の進め方にも方法があり、指定された部分を最初の4日間で理解と暗記などをしながら読み進め、次の2日間は復習に充てるのです。
そして一週間後の最後の1日が確認テストと特訓です。正解率が8割以上でないと先へ進めないし、たとえ8割以上の点数を取ったとしても、うろ覚えなどの場合は特訓で質問攻めにあうことになります。

無理を承知で頑張った3か月間です

僕の場合は、たった3か月で、不可能を可能にしなければならないのです。その日の課題が終わるまで寝ないで頑張ると決めて、ルートを確実にこなすように努めました。
武田塾の先生たちから幾度も聞かされた、ルートをちゃんとやりさえすれば、関関同立に受かるということを信じていたのです。そのための無理はやむを得ないと決意したのです。

特に武田塾に行き始めてからは、授業の無意味さに気づかされることが多くなりました。
学校の授業を聴いていても、「何でこんなに無駄なことをやるんだろ」「今さらこんな授業なんて要らんやろ」「参考書を見れば分かることばかりや」「時間の無駄遣いや」と思うことばかりです。
授業中に内職をすることも多かったのですが、先生が喋っていると集中して勉強できません。先生たちには申し訳ないのですが、家で真夜中や明け方まで勉強することにして、学校は仮眠をとる場所と割り切りました。

学校が終わると武田塾へ行って夜の8時から10時くらいまで自習や特訓です。そのあとで家に帰ってご飯やお風呂、そしてまた仮眠を取ります。夜中の午前2時か3時に起きて、朝の6時まで、また勉強です。
もちろん入学試験の数日前には通常の時間帯に戻しましたが、僕には昼夜逆転の勉強時間の方が集中できました。また、これぐらいやらないと『ルート』をやり切ることも、毎週の確認テストで合格点を取ることもできなかったのです。
このような非常手段を取らざるを得なかったのも、みなさんにはお勧めできませんが、僕にとっては苦肉の策だったので、3か月間という限られた期間でもあったので、精神力で何とか乗り切ることができたということでしょうか。

間に合うかどうかより、間に合わせる努力が大事

大晦日から正月にかけて、体調を崩してしまいました。頭が痛くて目まいがして、机に向かおうとしてもしんど過ぎて我慢できません。やむなく1日2日休んだら、「もう勉強がしたくない」と思ったことがあります。
その状況を「ヒマ中毒」と名付けたのですが、「ああ、このまま何もしたくない」「勉強なんてしたくない」「このままじっとしていたい」、勉強をしないことが「こんなに楽なんや」と、ひしひしと感じてしまったのです。
すでに1月です。目の前に試験が控えています。「勉強するんやない」「ルートをこなすだけや」と自分に言い聞かせました。ただ『ルート』をしっかりやるだけで志望校合格が見えてくるのです。出してもらった宿題をキッチリとやるだけで合格できるのです。ただ『ルート』をやるだけです。

それで良かったのだと思います。いまではハッキリと言えます。間に合わないなんてことはないから、最後まで努力して、間に合わせることが大切です。
でもそのときはまだ、「間に合わないかもしれない」と僕自身が思っていました。武田塾からは明確な指針と、志望校合格のために欠かせない課題を、ムリとムダのない1週間の宿題の形で出してもらっていました。1日2日休んだだけで、「勉強するんやない」「ルートをこなすだけや」と切り替えることができなければ、たぶん関西大学には合格できなかったでしょう。
関関同立に行きたければ、関関同立用の『ルート』をこなせばいいだけです。この単純明快な武田塾のやり方が、3か月しかないという状況にもかかわらず、合格までの勉強を間に合わせてくれたのです。
間に合わないと嘆いている暇があれば、間に合わせることが大事だと思います。そのためには、最後まで絶対に諦めず、武田塾の『ルート』をこなせばいいだけなのです。

武田塾の塾生と、先生たちと、武田塾チャンネル

精神的にも追い詰められた受験の直前に武田塾に入ったので、他の塾生たちと話したことがありません。そろそろ冬の気配が押し寄せて来たころの話です。遅くまで頑張っていたら、「みんなでピザを食べようか」と、校舎長がピザを頼んでくれました。そのとき初めて、他の塾生たちと会話をしました。
そのときの感想は「みんな結構頑張ってるんやなー」です。すぐ近くに僕と同じような仲間がいると実感することができました。なぜか、ほっこりした気分です。

講師の先生たちは、最近大学受験をして合格した人たちばかりなので、「こういうところが意外と狙われる」「こういうのは、こういう解き方をしたら分かりやすい」というように、自分の体験などを交えて教えてくれます。
日本史だったら満州などの説明でも、地図を示しながら「ここがこういうところで、こういう地理の関係があるから、このような出来事が起きたんだよ」と、自分が勉強したときに知ったことや興味を持ったことを交えて話してくれます。
参考書だけで、その流れが説明できるように「この人が、何でこういう風になったのか分かる?」などと訊かれます。「ちょっと分からないです」と答えると、「これは、こういうわけで…」と教えてくれるので、「なるほど!」と頭に入りやすいのです。

武田塾の校舎長や講師の先生たちの話だけでなく、武田塾に入る以前から観ていたYouTubeの『武田塾チャンネル』は入塾してからも観ていました。それこそ受験直前でも観ていました。
やはり勉強の遅れが気になっているので、「逆転合格したぞー!」などという動画があれば観てしまいます。
「ああ、こんな人もいるから絶対大丈夫や」「自分もこれくらい頑張ったと思うから大丈夫や」と励まされました。他にもタイトルを見て、これが面白そうと思う動画を選んで観ていました。
その中でも印象に残っているのは「山火の三周」という動画です。現代文の参考書を3周して、1時間もかけて大問を1問解いたという話です。この動画でやる気を起こされたことと、武田塾で勉強することになってから、「得意科目は現代文です」とまで言えるようになりました。
このようにYouTubeの『武田塾チャンネル』は参考になったことも多かったのですが、これだけ観たら勉強を再開しようというように、切替えを大切にしていました。

合格した本人より、周りのみんなが驚いてくれた

「あんた、いつまで寝てんの……」
「合格発表をちゃんと見ておかないと……」
「受かってるかも……」
母の声で、しぶしぶ起きました。受かっている気がしなかったのです。
のろのろとWEBに受験番号を入力して、生年月日を入力して、パッとキーボードを押したら、瞬時に結果が出ました。

「合格されました。春からこの……、関西大学の……、おめでとうございます」
えっ、ホントなの? ホントに受かったの? 余りにも簡単に表示されて、余りにも簡単に合格したことが分かって、「えっ、えっ、えーっ!」って感じです。
横にいた母に、「あー、受かってるわ」と言ったら、母も「えっ、えーっ! ホント―?」って感じです。見ていた僕が恥ずかしくなったのですが、驚きと涙の入り混じった顔で、あちこちへ電話を入れていました。
その直後、武田塾の校舎長から「どおーやった?」と電話です。「関西大学に合格してました」と答えると、校舎長の吐息が聴こえて、「はー、良かったー!」と声にもならないような感じです。

諦めなくて良かったと思っています。受験のわずか3か月前ですが、武田塾に切り替えたことが、到底不可能と思えた逆転合格を成し遂げさせたのです。「受からなければ、お金は僕が払う」とまで言い切って入れてもらった武田塾です。武田塾の『ルート』と、『ショートカット勉強法』と、『4日進んで2日復習』という参考書を使った勉強の成果です。

ちょっとだけ自慢と、受験生のみなさんへ

そして、ちょっとだけ自慢させてもらえるなら、夢だった関西大学に逆転合格できたのは、武田塾を選んだ僕と、武田塾のルートを信じた僕と、最後まで諦めなかった僕の成果です。それを3か月間で達成できたのが、「間に合うかどうかより、間に合わせる努力」の大切さです。

できることならば、みなさんには僕のような無茶はやって欲しくありません。
今始めることができれば、武田塾ならばムダとムリなく最短距離で志望校に合格するためのルートを教えてくれます。あとはみなさんが、そのルートを信じて突き進めばいいだけです。 多分、早めに始めることができるならば、1段も2段も上の難関大学を目指すことだってできます。
みなさんが一日も早く、自分に合った受験対策に取り組まれることを願っています。

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【関西学院大学】・【近畿大学】に合格 田口 弘一郎くん

高槻校から関西学院大学、近畿大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

武田塾のルートと参考書を使った勉強で志望校合格

田口 弘一郎(たぐち こういちろう)さん
名前
田口 弘一郎(たぐち こういちろう)
校舎名
武田塾高槻校/現役合格
合格した大学
関西学院大学法学部
関西学院大学文学部
関西学院大学総合政策学部
近畿大学経営学部
近畿大学経済学部

偏差値の推移

合格した関西学院大学法学部は偏差値58
模試を受けたのは高3の夏の1回だけなので偏差値の推移は不明。(関関同立はE判定、産近甲龍はC判定)

将来の夢

大学で一生付き合えるような友達を作りたい。そしてイキイキと輝ける人生を送りたい。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

高2の3月に母親と一緒に塾探しを始めました。そのとき候補に挙がったのが、少人数授業の藤井セミナーと武田塾です。二つに塾を比較して、自学自習に重きを置く武田塾を選びました。たとえ少人数でも集団授業では成績が上がらないと考えたからです。

②武田塾の勉強法で成績は?

模試を受けていないので、成績が上がったという実感はありません。それでも武田塾の先生に付いていって、ちゃんとルートをこなしたから関西学院大学に受かったと思っています。模試での成績を伸ばすことより、確実に武田塾のルートをやることで合格を掴むことが大切だと思います。

③武田塾に入って良かったこと

武田塾の中で友だちが出来たことと担当の先生との会話です。担当の先生とは、ちょっと年上の友だちのような感じで、勉強のことだけでなく大学の特徴や情報を教わりました。ルートどおりにやれば、必ず合格できると思わせてくれたことも良かったと思います。

田口弘一郎さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
大阪府立吹田東高等学校(偏差値54)
受験相談の時期
高2が終わった3月後半
入塾時期
受験相談のあと、すぐに入塾
受験科目
国語(現代文・古文)、英語、日本史
志望校を選んだ理由
関関同立の中で偏差値や世間的イメージを考慮した結果。関西の私学の雄、同志社か関学のどちらかに入りたかった。
得意科目:理由
日本史:やっただけの結果が出る科目だし、暗記が得意だから。
苦手科目:理由
現代文:文章の解釈を誤ると正答率が低くなるし、やったからといって伸びる科目でもないから。
他の塾や予備校の経験
他にはない。
高校時代の部活動など
テニス部(ハードな部活でなく、ガヤガヤ、ワイワイと楽しく2年間やっていた)
受験勉強期間中のタイムスケジュール
土日:5:30~ 起床
~9:00 英長文の音読や単語
9:00~18:00 過去問をやる。夜は『日本史一問一答』
23:00~23:30 就寝(最初に参考書をやる順番を決める。12月には夜型を朝型に直した)
好きな参考書、お勧めの参考書
『速読英熟語』
『速読英単語』
『日本史B一問一答【完全版】2nd edition 』
『古文単語ゴロゴ』

合格体験記

やはり参考書を使った自学自習が効果的だった

関西学院大学に合格できた最大の要因は、参考書を使った自学自習にあったと思うので、まずはお気に入りの参考書の話から始めます。
武田塾の「一冊を完璧に」する勉強法が一番いいのは言うまでもありません。僕も武田塾から提示されたルートに沿って、同じ参考書を何周もやるように心がけました。その中でも特に熱心に、やり尽くしたと言えるぐらいの参考書があります。それが英語の『速読英単語』『速読英熟語』と、『日本史B一問一答』と『古文単語ゴロゴ』です。この4冊が僕のお勧めなので、概要を紹介します。

『速読英単語(Z会出版)』

受験生の単語帳の基本は、『英単語ターゲット1900(旺文社)』や『システム英単語(駿台受験シリーズ)』です。そしてその上のレベルが『速読英単語』です。
関関同立などの難関大学を目指すのであれば、語彙力を増やした方が有利です。関西学院大学では英作文なども出題されるので、そのような場合には、語彙が豊富であればあるほど書く文章の質が上がります。
もちろん『システム英単語』もやりました。担当の先生から「シス単をやって、確認テストで9割取れば、次の『速読英単語』に行こうか」と言われていました。結果的には正答率が9割は越えていなかったのですが、89%取れた段階で『速読英単語』に進みました。

『速読英熟語(Z会出版)』

英熟語の熟語帳については、僕はこの1冊しかやっていません。担当の先生から、熟語帳については「これ1冊で十分だ」と言われていました。確かに基礎を固めるための、基本的な熟語帳としては、これ1冊で充分だと思います。

『日本史B一問一答(東進ブックス)』

日本史は、やればやるほど伸びる科目です。流れをつかんだ後で暗記すればいいのです。努力の結果がすぐに成績に結び付きます。
僕はこの『日本史B一問一答』をそれこそ何周も何周もして、知識の定着を図りました。この参考書を繰り返し何周もやったら日本史に強くなると断言できます。だから僕の一押しの日本史の参考書です。

『古文単語ゴロゴ(スタディカンパニー)』

古文単語については『古文単語ゴロゴ』しかやっていないので、ほかの単語帳との比較は出来ません。
『古文単語帳ゴロゴ』は語呂で書いてあるので、とにかく覚えやすいのです。後ろの方のページには古文常識が載っていて、例えば枕詞とか掛詞などの説明があります。そのような内容が関西学院大学でも出題されるので、この参考書に取り組んでいて良かったと思いました。「古文常識に特化した勉強をやってる」などという人はいませんが、僕には役に立った1冊です。

受験勉強は、志望校を高く設定することから始まった

関西学院大学の合格を知ったとき、母は泣き出しました。出張中の父にも電話したのですが、ちょうど新幹線に乗っていた時で、電話を受けた後、泣き出してしまったと聞きました。それもそのはずで、父も母も僕が関西学院大学に受かるとは思っていなかったのです。
同級生の中でも特に成績のいい人たちが、関西大学や立命館大学を目標に頑張っているようなレベルの高校です。さらに僕自身が高校2年までは、まったく勉強はしていなかったのです。だから僕以上に両親にとって、関西学院大学に受かるなど夢のまた夢だったのです。

そのような僕ですが、当初より目標だけは高く設定していました。高校の同級生たちと同じところに行きたくないという思いもあったのですが、目標を高く設定すれば、学力の伸び幅も大きくなるはずです。高く設定すればするほど、やらなければならない課題は増えますが、自分の学力を伸ばすことも出来ます。
関関同立を目指そうと思ったのは、武田塾への入塾を決めたときに「塾の費用も馬鹿にならないから、関関同立ぐらいには入ってね」と母から言われたからです。もっとも「関関同立ぐらいには」と言った母自身は、「まず無理だけど頑張ってね」程度の思いだったようです。
それはともかく、目標を高く掲げたからこそ、マジで無謀な夢だった関西学院大学に受かってしまったのです。

次に勉強の継続で、一歩一歩合格に近づくこと

田口 弘一郎(たぐち こういちろう)さん

高校2年生になって、ようやく始めた勉強ですが、欠かさず毎日やっていました。
試験に落ちたときに「あの時、やっておけば良かった」ということだけは避けたかったのです。毎日継続してやっていれば、たとえ不合格になったとしても後悔しないと思うのです。そして何よりも、継続して勉強しない限り、自分の実力以上の大学には合格できないのです。
武田塾へ入塾してからは、ルートに沿った毎週の課題(宿題)を提示してもらえるので、毎日着実に範囲を決めて勉強していました。当初は英語と国語と日本史を何から何まで指導してもらっていたのですが、徐々に宿題確認とスケジュール管理だけに切り替えて行きました。

試験の100日前ぐらいからは、自分で日めくりカレンダーを作って、日にち単位で、あと何日というように考えて勉強です。さらに毎日、勉強開始時刻と終了時刻を書いて、一日の終わりに、その日の勉強時間も分単位で計算していました。
さらにその日の勉強のスケジュールについても、武田塾のやり方ならば、一日に参考書を何ページやるということも決めることが出来ます。そしてその順番、初めに熟語をやって、次に単語をやってというように、1日の予定を立てることが出来ます。
前もって、どの参考書の、どこからどこまでを〝いつやるか〟決めておくのです。ここまでやっておけば、勉強を始める前に「何からやろうか」だとか「次は何がいいか」なんて考えなくて済みます。
このような話をすると、「勉強は、量より質じゃないの」という人がいますが、量をこなさなければ質は伴いません。時間をこなさなければ、質は伴わないのです。そして、どれだけやったかを時間で確認することによって、自信にもつながります。

模擬試験も受けず、確認テストさえやめて

休みなく、毎日決まった量の勉強をこなしているという自覚があるからなのか、スランプらしいスランプに陥ることもなく、さらには特に気負うこともなく、常に平常心でいられたと思います。
「俺はこんだけやってるぜ」みたいな気負いもなければ、ただ淡々と毎日の課題をこなしていました。「もうちょっとで受験やな」とか「あと何日で受験やな」というのはありました。でも、だからといって焦ることもありません。武田塾のルートに沿って、毎日ちゃんと講師の先生から言われた課題をやっていたのです。

さらに受験直前の12月からは、武田塾の確認テストもやめました。確認テストを受けなくても、自分がどこまで出来ているか把握できるようになったのです。12月からは宿題を出してもらうためだけに一週間に一度、武田塾に通っていました。
武田塾では「武田塾に入らなくても、参考書を使った自学自習で自己管理できればそれが一番いい」と説明しています。100%の自己管理は無理でも、自作の日めくりカレンダーと毎日の勉強スケジュールで、自宅で参考書だけを使った勉強が出来るようになったのです。

受験直前期には夜型を朝型に変えて

〝勉強はスケジュールが肝心だ〟と思っていたので、一度決めたらほぼ毎日、同じスケジュールです。
ちょっと変えることはあっても、大幅な修正は皆無に近いのです。ただし受験直前期の12月になって、勉強時間を大幅に変えたことがあります。夜型を朝型に変えたのです。
僕はもともと夜型だったのですが、学校から早く帰って勉強しようと保健室へ行って、「風邪かもしれません」「頭痛がするし、しんどいんです」と、仮病を使いました。そのとき保険の先生に「夜は何時まで起きているの?」と訊かれ、「3時ぐらいまでです」と答えました。
そうしたら保険の先生が「そんな夜更かしはあかん」「今まで見てきた受験生で、夜型の奴は大体受験に失敗してるで」「絶対、朝の方が集中できるから、朝型に直せ」と言われたのです。これが受験直前期に朝型に変えるようになった切っ掛けです。確かに朝型の方が勉強に集中できるようです。
なので、受験直前期には、土日などは朝5時半に起きて、9時ぐらいまでは英語の長文の音読と単語です。その後は夜の6時ぐらいまでは過去問を解いて、出来なかったところを再学習です。夜は遅くても11時半ぐらいまでの間、日本史の用語を『日本史B一問一答』で確認していました。

それでも得意な日本史、苦手な現代文だから

関西学院大学の日本史は、結構特殊で難しいので、得意科目だからと言っても高得点が取れるとは限りません。それでも好きな科目なので、日本史にかける勉強時間は多かったと思います。
日本史は、歴史の流れをつかむのが前提ですが、後はひたすら暗記です。高得点に結びつくかどうかは出題される問題次第ですが、やればやるだけ点数は上がるはずだと信じて、『日本史B一問一答』を何周も、それこそ隅から隅まで読み込んでいました。それでも、もともと暗記は得意な方ですから、大した苦労はしていません。

四苦八苦したのは国語、特に現代文です。武田塾に通い始めた4月頃は、現代文に関する知識が皆無に近かったので、読み方などを学ぶことによって少しは分かるようになり、手ごたえを感じたこともありました。しかし夏頃には足踏み状況です。
担当の先生から「現文はそういう科目や」と慰められ、本番の試験では「現文やし、しゃあないな」と割り切ってというか、半ばあきらめ半分で答えました。やはり現代文って生まれ持った才能というか、出来る奴は出来るし、出来ない奴は出来ないって感じがします。
それでも現代文の解き方の知識がなかった4月から夏にかけては成績も伸びたので、ある程度まではやっておく必要があります。ただし、やり過ぎても労多くして実り少なしということではないでしょうか。

ちょっとだけ武田塾の勉強法と異なることもあったけど

それはともかく得意な日本史も苦手な現代文も、それだけ時間をかけて勉強したのだから「基礎は完璧か」と言われても、それほどではありません。基礎が固まっていないまま、次々と数をこなしてきたのもあるので、武田塾のやり方を忠実に守ったとは言えません。
その点では武田塾に掲げられている武田塾十箇条という勉強の指針とは違っていました。十箇条の第四条には「基礎をおろそかにすることなかれ」と書かれています。そう言えば第五条の「量よりも質、回数よりも正解率」にも反していたかもしれません。ともかく量を稼いで、その結果として質を上げるというのが僕の勉強法でした。
それでも関西学院大学に受かることが出来ました。それというのも、たとえ基礎固めが十分に出来ていなくとも、自分で決めた時間だけは忠実に欠かさず勉強をしていたからフォロー出来たと考えています。

さらに、夏休みが終わった頃から自宅で勉強することが多くなったので、担当の先生に質問する機会も減っていきました。自分で変な解釈をして済ませてしまったことも多いと思います。これも武田塾十箇条の第六条、「即質問し、即相談し、即実行せよ」に反していたようです。
このようにすべてが武田塾流ではなかったのですが、第壱条の「一冊を完璧にせよ」だけは徹底してやっていました。みんなのように模試も受けず、武田塾で示されたルートを信じて、ひたすら勉強していました。これが合格までの最短で最善のルートだと信じて、「一冊を完璧に」するために参考書を何周も何周もしていたのです。

関西学院大学ならではのキャンパスライフを楽しみたい

実は関西学院大学の中で法学部、文学部、総合政策学部を受けたのは、比較的受かりやすい学部だからです。商学部や社会学部は倍率も高く、合格最低点も高いのです。
目標を高く掲げ、毎日欠かさず勉強はしても、無謀な挑戦は出来ません。だから選んだ学部です。それでも合格が決まったときに、父母が嬉し涙を流すほど喜んでくれたことは書きました。僕にとってはそれほどまでに、関西学院大学は高い目標だったのです。
そこまでして関西学院大学に入りたかったのは、関関同立の中でも同志社と並んで関西の私大の雄だからです。そのような大学だからこそ、優秀な人たちも集まってくるだろうし、生涯の友だちになってくれるような人も現れる気がします。関西学院大学には留学生も多く、留学生のパートナーのような感じで付き添うシステムもあるそうです。どんどん交友関係を広げて、友達の輪を広げていきたいのです。

将来何をやりたいかは、まだまだ検討中です。でもその前に関西学院大学のキャンパスで、多くの経験と出会いをしたいのです。これから受験されるみなさんも同じだと思います。出来るだけ高い目標を掲げ、たゆまない努力で得た合格は、貴重だと思います。
自分の力を目一杯振り絞って合格できた大学は、それがどの程度のランクの大学だろうと夢のキャンパスです。みなさんもまた、合格の喜びで嬉し涙を流してください。

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【北里大学】に合格 東 真由さん

京都校から北里大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

武田塾は他の予備校や塾と違った勉強法です。

東 真由(あずま まゆ)さん
名前
東 真由(あずま まゆ)
校舎名
武田塾京都校/1浪で合格
合格した大学
北里大学獣医学部獣医学科(専願)

偏差値の推移

合格した北里大学獣医学部獣医学科は偏差値62.5

全統記述模試
2016年度第3回
全統記述模試
2017年度第2回
教科・総合偏差値偏差値
英語45.863.5
数学II型49.167.5
化学41.9
生物57.267.3
総合1私理48.566.1
総合2理系50.766.1
判定北里大学獣医学部
/E判定
北里大学獣医学部
/B判定

将来の夢

獣医師免許を取って、動物病院で働きたい。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

個別指導の塾で家に近いところを探していました。ネットで「京都 塾 獣医学部」と検索したら、武田塾に通っていた人の獣医学部合格体験記が出てきました。早速受験相談に伺い、自分の勉強法にも合っているので入塾しました。

②武田塾の勉強法で成績は?

個別指導の塾で家に近いところを探していました。ネットで「京都 塾 獣医学部」と検索したら、武田塾に通っていた人の獣医学部合格体験記が出てきました。早速受験相談に伺い、自分の勉強法にも合っているので入塾しました。

③武田塾に入って良かったこと

それまでは1冊の参考書を完璧にできていませんでした。途中で他の参考書に手を付けたり、「この参考書いいよ」と言われると、また別の参考書に替えていました。武田塾に入って1冊を最初から最後まで全部やって、しかも何周もする習慣が付きました。

東 真由さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
私立日本航空高校普通科卒(通信制なので偏差値は分からない)
受験相談の時期
浪人することを決めた3月中旬
入塾時期
受験相談後すぐ(3月下旬)
受験科目
英語(長文2つ)、生物(論述)、数学(IA、IIBまで。筆記)、(面接)
志望校を選んだ理由
獣医学を学んで獣医になりたかった。2年目からの十和田キャンパス(青森)の生活に憧れた。
得意科目
生物
苦手科目
英語
高校時代の部活動など
通信制の高校で、体調を崩すことも多かったので特になし。
受験勉強期間中のタイムスケジュール
9:00~10:00 起床
10:00~13:00 自宅学習(前日の学習内容の確認など)
14:30~20:00 武田塾(特訓及び自習)※お腹が空いたら帰宅。
21:00~23:00 帰宅(食事・お風呂)
23:00~2:00 自宅学習 ※夜型なので集中して勉強できた。
好きな参考書、お勧めの参考書
『基礎問題精講(IA,IIB, 生物)』旺文社
※特に好きなのは『生物(生物基礎・生物)基礎問題精講』

合格体験記

夢は獣医でも、獣医学部合格にはほど遠かった

通っていた高校の名称が航空高校なので、航空関係を教える高校と思われますが、航空科などいろいろあっても、私の場合は普通科です。
さらにこの高校は通信制の高校です。当初は全日制の高校に通っていて、そちらの高校の偏差値は52ぐらいですが、航空高校は通信制なので偏差値は分かりません。そのような高校時代、航空高校の勉強と並行して通信制高校からの進学サポートの進学塾、トライ式高等学院も利用していました。
当初から獣医学部に進学して獣医になりたいという夢は持っていたのですが、体調を崩していた時期も長くて、受験直前期でも獣医学部合格にはほど遠い偏差値49(当然のようにE判定)でした。
ただそれでも通信制の高校ですから、自由な時間は一杯あります。なかなか成績には結び付かなかったものの、自分がやりたい勉強ができました。獣医学を勉強したい。獣医学部に進学して獣医師になりたいと夢が膨らんでいきました。
自分が受験だけに集中できた時期でした。だから、夢があったら余計にそれだけに向かって勉強とかができたのでとても、逆に良かったのかなと思います。

本格的な勉強は武田塾に入ってから始まった

武田塾に入って一番良かったことは、1冊を完璧にするという勉強法が身に付いたことです。『武田塾で逆転合格出来たワケ』にも書きましたが、それまでは1冊の参考書を完璧にできていませんでした。
途中で他の参考書に手を付けたり、「この参考書がいいよ」と言われると、また別の参考書に取り替えていました。武田塾に入って1冊を最初から最後まで全部やって、しかも何周も繰り返す習慣が付きました。
この1冊の参考書を完璧にやることで、初めてきちんと1冊の参考書を終わらせたときの達成感を実感することが出来ました。それがまた、次の1冊を完璧にやろうという励みにもなります。
最初の1、2冊はそれほどでもないのですが、何冊かやっていくうちに、模試などで徐々に「これ参考書で見た問題だな」というのが増えてきました。そうなると、学力が付いてきたと実感できます。さらに幸いなことに高校時代に崩していた体調も、浪人生活を始めたころから良くなっていきました。
実は浪人する前に「浪人は1浪だけにする」と親に宣言していました。まさに後のない背水の陣です。その時に出合ったのが武田塾だったことがラッキーだったと思います。制限された受験勉強期間しかないという条件の中で、参考書を使って、いかに無駄なく、最短距離で合格まで突き進むかを提示してもらえたのです。

自学自習は、通信制高校だったから慣れていた

確かに通信制高校だったので、課題を与えられ、参考書を使って勉強する方式には慣れています。それでも現役最後の模試でも偏差値は49でした。
武田塾に入ることによって、改めて参考書を使って、どのように勉強するのかを教わりました。さらに合格までの道筋は、一人ひとりの現状と志望校から逆算して提示されています。
それが武田塾でいうところの〝ルート〟ですが、そのカリキュラムに沿って努力すればいいだけです。急速に成績が上がり始めたのは、一冊を完璧にするということと合わせて、ルートに沿って毎週与えられる課題と確認テストを繰り返したからだと思います。
合格までのルートを基に、1週間ごとに課題が出されます。そして1週間後には完璧に課題がクリアできたかどうかの確認テストです。単にルートを示して「頑張りなさい」ではなくて、間違いなく課題をクリアしているかどうかの確認をして、次の課題へと進むのです。
このように一人ひとりの勉強の進捗状況を見極めて、微調整をしながらの勉強管理ですから、今何をやるべきか明確なら、合格へ向け着実に進んでいるという実感があります。少なくとも勉強法についての迷いはなくなりました。

ちょっぴり不安はあるものの勉強は順調に進んだ

東 真由(あずま まゆ)さん

もちろん過酷な受験勉強です。辛い時もありました。でも勉強は、そんなに嫌いでもないので、「めっちゃ辛い」というより、「いつ伸びるのかな」という期待と不安です。それでも「あかんかったら、そのときはそのときや」と、やるだけやってダメだったら、また他の方法を考えればいいと、ちょっと逃げ道も作っておきました。
実は中学受験のときに、自分を追い詰めすぎてダメになった苦い経験があります。同じことを繰り返したくないので、逃げ道を作っておくというか、他の道も考えておくことで精神を安定させるようにしました。1浪だけにすると親に話したときに、ダメだったら他の大学に行くとか、留学するとかの選択肢も話し合っていました。その結果、浪人中もスランプを感じることなく、自分でもビックリするくらい順調でした。
さらに個別指導なので、疑問点はすぐに質問できます。講師の先生も現役の大学生で、私にとっても、ちょっと年上のお姉さんといった存在です。先生との距離が近いので、「これってどうするのですか」と、勉強に関係ないことや受験当日の過ごし方など気軽に聞けます。講師は京大の理系、看護の方たちですが、聞きたいことって、勉強上の疑問よりも日々の生活のことや受験テクニックです。
たとえば試験の受け方ですが、英語、数学、生物の3科目を90分で解かなければならないので、時間配分が重要です。さらに「ここはどういう順番で解いたらいいですか」などと、過去問をやりながら担当の先生と幾度も話し合いました。
英語は苦手だから最初にするか後にするか。数学は何分で終わらせるかなど、話は多岐に渡ります。思いつくままに相談するのですが、ポロっとつぶやいた些細なことに対しても返してもらえるのがすごく良かったと思います。

それでも「獣医学部って、どこにあるの?」という世界だった

難関とはいえ大学の医学部は探せば各地にあります。ところが獣医学部ともなると限られた数しかありません。特に私の住む関西には獣医学部がなく、私の周りにも獣医学部志望なんて人は皆無です。
だから何から何まで自分で探すしか方法がなくて、情報源といえばネットが頼りというか、ネットで検索して情報を得るしかないのです。
友だちに聞いても、高校に聞いても、どこに獣医学部があるのか、私立では幾つあるのか、国公立では幾つあるのかさえ、誰も知りません。だから最初は、獣医学部専門の予備校を探していたのですが、私の家から通える範囲内には獣医学部受験を掲げた予備校なんてありません。
そんなときにネットで検索していて、武田塾に通っていた人が獣医学部に合格したと知ったときは、一筋の光が差し込んだようにさえ思えました。その人は合格体験記の中で、武田塾から課題を出されて、それをやって、特訓で確認することによって成績が上がり、獣医学部に合格できたと書いておられました。それならば私にも出来る。それどころか自分に一番ピッタリと合った勉強法だと思いました。

武田塾の勉強法で、勉強のムラがなくなった

そんな私の一番苦手な科目は英語です。中学生の頃から苦手でした。今もリスニングが苦手です。現役時代は特に、得点源にならず、やる気も起きなかったのです。
武田塾へ入って、最初に与えられた課題は英単語です。最初はすぐに忘れてしまい、つまらない日々が続きました。ところが無理やりでも始めたら、意外と覚えられることが分かってきました。武田塾へ入るまでは自分のペースでやっていたのが、武田塾では1日にこれだけと決めて覚えるのです。
それも1日に1時間も単語帳を広げているわけでもありません。自習室でやって、帰宅してから少し復習という感じです。私の場合はすぐ忘れてしまうので、自習室で「この単語、明日には忘れていそうだな」と思われる単語にチェックします。チェックした単語だけを見返すのです。
この英語の勉強が特徴的ですが、武田塾に入って勉強法が変わったと実感しています。現役の頃、偏差値が40台のときは、すごく出来る分野がある一方で苦手な分野があるなど、勉強にムラがありました。模試などで全然出来ないときに、白紙で解答用紙を提出するくらい穴が空いていました。
ところが「1冊を完璧に」という勉強法を始めたら、全部を網羅しているので穴がなくなります。それが私には合っていたようです。苦手なはずの英語の成績も上がり始めました。

苦手を克服し、さらに得意科目は得点源に

得意科目は生物です。もともと小さいときから動物が好きで、動物に関わる仕事をしたいと思っていました。飼っているウサギが病気になったことなど色々なことが重なって、獣医師になりたいというよりも獣医学を勉強したいと思ったのです。だから生物という科目も大好きならば、ヒマがあれば図録を見ていました。
でも、好きだからといって、それだけでは点数に結びつきません。好きだから、人一倍生物の参考書や関連書籍を見ているのに、点数が伸びなかったのです。やはり「1冊を完璧に」やっていなかったので、勉強にムラがあるというか、穴が空いていたのでしょう。
結果的に、武田塾に入って一番ググっと伸びた科目は生物です。何しろ好きな科目ですから、他の勉強に疲れたときも、息抜きに生物の参考書を手に取ります。そこへ持ってきて、1冊を完璧にするという勉強法で生物もやり直したのですから、鬼に金棒です。比較的、暗記事項の多い生物ですから、思った以上に成績が伸びました。
そんなとき主に使っていたのが『生物(生物基礎・生物)基礎問題精講(旺文社)』です。左のページに問題が掲載されていて、右のページに詳しい解説が載っています。それまでは問題を解くだけで、解説を無視していました。この参考書の場合は、試験に出るような重要ポイントは太字になっていて見やすいうえに覚えやすいのです。基礎的な知識を問うだけでなく発展問題もあって、幅広く使えると思います。

余計なことを考えず、とりあえず勉強に集中

北里大学の獣医学部の過去問の参考書には、問題は出ていても答が載っていないのです。それもそのはず、論述ですから明確な答なんてありません。他の大学の他の学部を志望していたとしたら、過去問で何割取れたか出てきます。過去問をやってみて、合格圏の点数以下だったら落ち込んで戦意喪失していたかもしれません。
武田塾の特訓時にも「それほど間違ったことは書いていないから、部分点はもらえるね」などと大筋は合っていると言ってもらえるので、結構自信になりました。一般の入試だとマーク式ですから、部分点が何もないのではっきり得点が出てしまいます。
公募の論述では「これくらい書いていたら大丈夫でしょう」「ここは部分点がもらえるよね」という話から始まるので、精神的には大丈夫でした。「当日も、ここできっと部分点がもらえるよね」という話で励まされ、過去問で落ち込むことなく勉強を続けられました。
さらにいつもの居直りです。「あかんかったら、そのときはそのときや」と余計なことは考えずに勉強に集中しました。

起床法も利用して一足早く合格の栄冠

東 真由(あずま まゆ)さん

私の勉強場所は、武田塾の自習室と自宅です。同じ場所で長く勉強できないたちなので、武田塾の自習室で5~6時間勉強して、夜になってお腹が空いたら帰宅です。そのあともう一度自宅で勉強ですが、夜型でもあるので夜中の2時ぐらいまで勉強していました。
当然のように夜型は朝には弱いのですが、私が勉強法に取り入れている方法の一つが『起床法』です。記憶力重視の科目は寝る直前に勉強すると定着するということの応用ですが、寝る前に生物とかの参考書を読んだら、そのまま枕元に置いておいて、起きた瞬間にそれを読み直すのです。
私は、めっちゃ寝起きが悪くて、起きた後もボケーっとしていることが多いのですが、その時にパッと昨日勉強したところを見たら、「あ、そういえばこうやったな」と頭が働き出すのです。寝起きに昨夜暗記したことを見ることで記憶も定着して、寝起きが良くなるという一石二鳥の方法でした。
そして受けたのが公募推薦ですから、11月中旬に入学試験、11月末日には合格発表です。感覚的には、夏休みが終わったら、目の前に試験が迫っていました。悩んだり落ち込んだりしている暇もない状況でした。
もしも公募推薦で受かっていなければ、当然のように冬にはガックリと落ち込んでいたと思います。でも合格です。1年目は神奈川県の相模原で、2年目から6年目までは青森県の十和田市での夢のような学生生活が始まります。

みなさんにも夢を大切にして欲しい

私の場合は、獣医学を学びたいという夢がありました。さらに北里大学の獣医学部は2年目から青森の十和田に行くのですが、その生活にすごく憧れていました。大自然の中で学びながら生活出来るのです。合格して、やっと解放されたという思いと、通信制の高校に行って家族にも迷惑をかけてきたので、これで一区切りつけられるという感謝の気持ちです。
でも、もう一つの課題が控えています。大学に6年間行って、獣医師免許の国家試験に合格するという課題です。でも大丈夫、武田塾で身に付けた勉強法があります。

今、みなさんに伝えたいことは、最後まで諦めずに頑張って欲しいということです。私は、浪人してからは思いのほか順調に行ったとはいえ、それまでに幾度も挫けそうになりました。高3のときには偏差値40台から全然抜け出せなくて、幾度も志望校を変えようかと思いました。
それでも、志望校を変えなかったから合格できたのです。足踏み状態が続いていても、成績が上がるまで頑張る時期も必要だと思います。夢を大切にして下さい。そして自分を大切にしてください。

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【岡山大学】・【立命館大学】・【京都橘大学】に合格 平岩 縁さん

京都駅前校から岡山大学、立命館大学、京都橘大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

不妊治療に関わりたいから岡山大学医学部保健学科を目指す

平岩 縁(ひらいわ ゆかり)さん
名前
平岩 縁(ひらいわ ゆかり)
校舎名
武田塾京都駅前校/2浪
合格した大学
岡山大学医学部保健学科検査技術科学専攻
立命館大学
京都橘大学健康科学部臨床検査専攻

偏差値の推移

合格した岡山大学医学部保健学科検査技術科学専攻は偏差値59
岡山大学にD判定からの逆転合格

将来の夢

胚培養士(臨床検査技師)になりたい。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

もう後がない2浪目、四谷学院と武田塾のどちらかしかないと考えて、武田塾の受験相談と1週間のお試し特訓で武田塾を選んだ。

②武田塾の勉強法で成績は?

苦手だった数学はもちろん、物理や化学も得点源になった。これ以上の得点は無理だろうと考えていた英語でさえも、さらに伸びた。

③武田塾に入って良かったこと

出来ないことが出来るようになるまで丁寧に見てくださって、不安を一つずつ解消出来た。出来ないことが出来るようになるまで、ヒントを出して見守ってくれるところがいい。漠然と「あれも出来ない、これも出来ない」と不安を感じていたが、丁寧なフォローで不安を一つずつ解消出来た。

平岩縁さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
京都市立西京高等学校 エンタープライジング科(偏差値70)※附属中学からの進学
受験相談の時期
高卒で専門学校進学後中退して宅浪。
入塾時期
2浪目が決まった3月に武田塾入塾。
受験科目
センター7科目:国語・社会(倫政)・英語・リスニング・専門理科2科目・数学(IA・IIB)
2次試験:英語・数学・物理・化学
志望校を選んだ理由
生殖医療に関する勉強が出来る大学だから。日本の国立大学では、生殖医療に関する研究をやっている唯一の機関が岡山大学。
得意科目:理由
英語:ある程度の基礎が出来ていた。
苦手科目:理由
数学:公式、定理などの理解が中途半端だった。
他の塾や予備校の経験
通っていない。
高校時代の部活動など
生徒自治会執行部(副会長を高校3年の5月までやっていた)
受験勉強期間中のタイムスケジュール
9:00 起床
11:00~13:00 家で課題をこなす
13:30~15:00 身支度・昼食
15:00~16:00 友達に会う
16:30~21:00 塾で勉強
好きな参考書、お勧めの参考書
『基礎問題精講(「数I・A」「数II・B」「数III」』 旺文社

合格体験記

一端は専門学校に入ったものの中退して宅浪した理由

現役時代、臨床検査技師専攻の学部を持つ大学の受験に失敗して、とりあえず欠員補充の募集をやっていた臨床検査技師を養成する専門学校に入りました。しかし、その専門学校が当初イメージしていた内容とは程遠く、再度大学受験に挑戦することにしたのです。 その後、再び不合格となって2浪に至った経緯は後ほど触れますが、その前になぜ2浪までして臨床検査技師への道を目指そうと思ったのか、それがなぜ岡山大学医学部保健学科だったのかについて説明させてもらいます。

中学受験で入った中高一貫教育の京都市立西京高校エンタープライジング科は進学校なので、中学時代から「君らは将来有名大学へ進むんだから」とか、サブリミナル効果を狙ったのか「京都大学」「京都大学」と繰り返し聞かされていました。
その効果があったのかどうかは分かりませんが、少なくとも高校受験に時間を費やす必要だけは無かったので、将来の進路を考える時間がありました。

父が薬剤師なので、以前から医療関係に興味がありました。それと合わせて生徒自治会活動などもやっていたので、社会への貢献というか、女性の社会進出にも興味を持ちました。そこで選んだ進路が臨床検査技師になることだったのです。
ただし同じような臨床検査技師でも、徐々に胚培養士という不妊治療に関わる仕事に就きたいと考えるようになっていきます。

どうしても入りたくなった岡山大学医学部保健学科

女性の社会進出が声高に叫ばれる時代になり、「大学へ行け」「責任を伴う仕事にも就け」「結婚しろ」「出産しろ」と、今の時代の女性の置かれている立場は過酷です。
大学を出て、就職をして、頑張って仕事をしている間に、出産時期はどんどん遅くなります。その結果、子供を持ちたいけれど年齢的な限界が近付いていたり、あるいは先天的な要因でなかなか子供が出来ないなど、さまざまな問題を抱えている女性が増えています。

私も恋人と呼べる人に出会って、遺伝子を残すということが他人事じゃないと思ったときに、出産出来なくて困っている人たちのために、自分にも出来る仕事があるのではないかと考え始めたのです。
不妊治療に関わりたい。医療関連の技術によって不妊に悩む人たちに寄り添うことが出来るのならば、それを自分の仕事にしたい。そのことによって医療関係に関わるだけでなく、自分なりの社会へのアプローチが出来るように思いました。

岡山大学医学部保健学科検査技術科学専攻を受験しようと決意したのは、国立大学の中で唯一生殖医療に関する研究をしている大学だからです。
岡山大学には生殖補助医療技術研究(ART)センターというのがあって、生殖補助医療技術者のためのリカレントセミナーだけでなく、中・高校生向けのセミナーまで幅広くやっています。
岡山大学のオープンキャンパスや様々なセミナーに参加させて頂いて、進学するならば岡山大学医学部保健学科検査技術科学専攻しかないという思いが強まりました。

宅浪後、2浪目には四谷学院と武田塾を考えた

現役受験に失敗して、いったんは臨床検査技師を養成する専門学校に入ったのですが、想像していた授業内容でなかったので退学。一念発起して宅浪でゴリゴリ勉強したものの、あえなく挫折です。
1浪のときのセンターリサーチでは、岡山大学医学部保健学科はD判定でした。後になって分かったことですが、夏ごろのマーク模試は現役生向けに若干範囲を狭めて作ってあるそうです。それを知らずに、過去の模試が収録されたものをセンター対策としてやっていました。

結局、現役生相手なので除かれていた部分が出来なかったので本番でドン滑りです。これが宅浪の悪いところです。受験対策に漏れがないかどうかのチェックが出来ないのです。
万遍なく点数を取らなければ難しい国立大学受験なのに、出来る科目と出来ない科目の落差が大き過ぎると思っていました。今度こそ後のない2浪目なので、思い切った受験対策が必要です。
そのために予備校へ通うことを考えたのですが、駿台や河合塾だとクラスごとの平均的な集団授業になってしまいます。得意科目の授業を受けても時間のムダで退屈だし、苦手科目の授業は付いていくのがやっとです。これでは得点源である得意科目を伸ばすことも、弱点科目を克服することも出来ません。集団授業中心の予備校では、自分のペースで勉強が出来ないことが一番のネックでした。

自分の得手不得手や自分のペースに合わせて指導してくれる予備校はないものかと探して、最後に候補として残ったのが四谷学院と武田塾です。
最初に四谷学院に話を聞きに行ったのですが、四谷学院の基本は集団授業なので、後からフォローしてくれるというものの、結局は二度手間になるとしか思えませんでした。
武田塾の方は、無料受験相談をやっているとのことなので、とりあえず受験相談を受けに行きました。

苦手な数学で実感した武田塾の勉強法の凄さ

武田塾では、これは武田塾の受験相談でいつもやっていることだそうですが、一人ひとりの現状と志望校に合わせたルート(カリキュラムなど志望校合格のために何が必要か)を教えてもらいました。さらに武田塾の受験相談の後、一週間のお試し特訓を受けさせてもらうことにしました。
そのときの科目が、私の一番苦手だった数学だったのです。最初に「これ、やってみて」と手渡されたのが旺文社の『基礎問題精講』という数学の参考書です。やがて、この参考書のシリーズが苦手な数学を克服する最大の武器になるのですが、それはまだまだ先の話です。
そのことよりも、わずか一週間のお試し特訓にもかかわらず、なぜか手ごたえを感じたのです。

武田塾のお試し特訓の方法は、通常の武田塾の指導法通りで、1週間後までに指定された参考書の決められた部分を自習して来るのです。そして身に付いたかどうかを確認するためのテストを受けます。
ただし、その自習の進め方にも基本があって、4日間で指定された部分すべてをやり終えて、その後の2日間は復習に充てます。そして1週間後の1日が、武田塾でいうところの特訓日です。
特訓日には、指定されていた部分の確認テストがあり、その結果についてのレクチャーを受けたり、勉強してきて理解できなかったことなどの質問時間です。この武田塾の特訓は、正真正銘講師と生徒の1対1で行われます。

「えーっ! そこまでチェックされるんだー!」
これが私の、一週間のお試し期間の特訓のときの実感です。単に答が合っているかどうかだけでなく、指定された範囲内を本当に理解しているかどうかもチェックされるのです。 基本は80点以上取れば次へと進むのですが、理解が不十分と判断されれば、もう一度同じ宿題が出されます。
「なるほど、この部分が理解できていなかったから、こちらの問題も解けなかったんだー!」
半ば冷やかし半分の軽い気持ちで受けた〝お試し特訓〟なのに、目から鱗でした。もちろんその場で、武田塾に入ろうと決めました。

数学だけでなく物理も、化学も、そしてなぜか英語さえ

それまでは数学の過去問や例題を見ても、何から手を付ければいいのか分からない状況でした。どこから崩していけばいいのか見当もつかないというくらい、数学が苦手だったのです。
そもそも必要な公式や定理を整理して、頭の中の引出しに入れておくという作業も不十分だったし、どの引出しの、どの部分を開けて使うかも分かっていなかったのです。
『基礎問題精講』には、「数I・A」「数II・B」「数III」の3冊があります。やがて、それを終えた頃には数学への苦手意識も消えていました。
最初に感じていた壁が、いつの間にかなくなってしまっていたという感触です。

やはり武田塾のやり方で、一段一段と階段を登るような感じで、さらに一区切り進んだら復習して公式などを確実に覚え、確認テストによって公式や定理の利用法を定着させていきます。
それも武田塾から指定されたルートに沿った、この参考書だから有効だったようです。何回でも自分の戻りたいところにアクセス出来て、復習にもなるという利点があったように思います。
その根っこにあるのが、参考書を使って一つひとつ潰していくという勉強法です。武田塾の「一冊を確実に」という攻略法は、苦手だった数学に有効だっただけでなく、物理や化学さえも「得点源になった」と言えるほどの効果を発揮しました。以前はせいぜい足を引っ張らない程度の成績に止まっていたのです。

もう一つ、元から得意科目だった英語についても変化が出てきました。
中学の英語の先生が面白い人だったので英語が好きになったのですが、自分に合っていたから感覚だけで解いていた部分もあります。その先生に単語の成り立ちや豆知識なども教えてもらっていたので、より多くの単語を覚えていたということもあります。それでも英語は、結構出来ているからとズボラな勉強をしていたので、模試などの得点でもムラがありました。
武田塾から、私のそのような弱点を指摘されて、改めて欠けている部分を一つひとつ埋めていく勉強に取り組みました。その結果、以前ならば出来るといっても160~170点ぐらいのところをフワフワと行き来していた点数が、センター試験直前には着実に190点程度が取れるようになりました。
これ以上は不可能だと思っていたのに、「えっ、まだまだ伸びるんだー!」って感じです。

スランプの原因は、浪人慣れと模試慣れ

平岩 縁(ひらいわ ゆかり)さん

2浪もしていると次々と模擬試験を受ける機会もあるので、模試に慣れ過ぎるというか、緊張感をもって模試に臨めなくなります。
最初の頃は「模試前にあれもやっておかないと」「あれを詰めておこう」「これを詰めておこう」と追い込みをかけていたのですが、慣れてくるとついつい「もういいや、行こう」と適当になってしまいます。

秋口になると、模試の成績に表れるほどではないのですが、さらにダレてくるというか、緊張感がなくなってきます。もしかしたらそれが、気持ち的な私のスランプだったのかも知れません。
さらに10月頃の模試は、現役生を意識して若干易しく作ってあるらしくて、緊張感がなくてもそこそこの結果は出せます。そのような幾つかの要因が重なり、ちょっとダレてしまったようです。
この時期、参考書を広げて目で追いかけているのですが、字が滑っているというか、見たけど何も覚えていなかったなどということもありました。2日後の特訓のときに訊かれても、「あれー! そんなの参考書に載っていたかなー?」という感じです。

そのような10月から11月にかけての気分的にダレたときに、もっと真剣にやっていたら余裕をもって受験本番に臨めたと思います。
それでも秋が深まってくると「ダレています」などと悠長なことは言っていられません。当初から教務の先生と「センター対策は12月になってからやろう」と話していたのですが、11月も終わりに近付く頃になると不安が募り始めます。
やはり勉強には緊張感も必要というか、特訓プラスαの勉強を始めるに従って、集中力も上がっていきました。

ルートを参考に、合格圏へと突き進むしかない

8時半より前に起きると、妹が学校に行く時間と被って、「お姉ちゃん、洗面所代わって」と怒られるので、いつも11時頃までは母親と喋ったり、「勉強なんかしたくない」と言ってダラダラ着替えたりしていました。そのあと、少々の勉強です。
家の近所の大学に通っている高校時代の友だちがいて、この友だちは15時頃には学校が終わるので、その時間になると京都駅まで一緒に行きながら、喋ったり買い物です。友だちは16時からバイトなので、友だちと別れてから武田塾に向かう日々でした。
私は家でも勉強出来ると思っていたのですが、その友だちがいたから塾に行って、環境を変えて勉強出来たと思います。

武田塾では、英語と数学、物理と化学の2教科ずつを受けていました。国語と社会については、武田塾のホームページに載っているルートを参考に、それこそ正真正銘の参考書を使った自学自習です。
正直なところ2浪なので、武田塾で指導してもらっている教科も、自学自習だけでやっている教科も、「初めて聞いた」「初めて知った」などというところは少なくて、身に付いているかどうかを別にすると、受験に必要な勉強はほとんどやっていました。
問題は、教わったり勉強したことを自分で繋げることが出来なくて、ちょっと捻られた問題などが出てくると解けないことです。それでも直接武田塾から指導を受けた教科だけでなく、武田塾のホームページを見ながらの自学自習で取り組んだ教科についても少々の難問も解けるようになりました。

先にも書いたように、私の勉強時間は11時から13時半までの2時間半と、16時半から21時まで6時間弱の、合わせて8時間くらいです。他の受験生に比べると少ない方かもしれません。
就寝前は、寝る前にやると記憶が定着しやすいと聞いていたので、その日にやったことを軽く見直して復習したり、明日何をやるかをリストアップするなど、勉強を整理する時間に充てていました。

私の暗記法と受験直前の心構え

英単語や公式などの暗記法は人それぞれのようですが、私は青のボールペンで次々と書きなぐるという方法で覚えます。確かにいちいち書いていると時間がかかるし、試験会場などでとっさに思い出せないから、見るだけで覚える方がいいという人もいます。でも私は使わない裏紙などに、青ボールペンでひたすら書くという方法です。
記憶の定着には青がいいと聞きました。さらに書き心地がいいので、私の場合はゲルインクの青のボールペンです。荷物も増やしたくないから、油性のボールペンじゃなくて、ゲルインクのボールペンに決めています。シャープペンや他のボールペンでは気が乗らない時でも、「ゲルインクの青のボールペンなら書いてもいいや」となります。私には、気に入ったら同じものを買い続けるという習性があるようです。

実は、ひたすら書き続けるという私の記憶術は、受験直前期の勉強法としても使っていました。
試験直前って、やっぱり不安になって「アレも出るかも」「コレも出るかも」と、あれこれと見たくなります。でも参考書などを次々と見たとしても記憶に残りません。だから私は、とにかく書いて不安を消すというか、考えるのをやめて、書く作業に没頭することにしていました。
理系科目って計算しながら解くことが多いので、自然と手を動かすことになります。「見て覚えて」「それからテストして」という人も多いのですが、それだと頭の別の倉庫まで開いてしまって、あれこれと余分なことに気を使うことになります。
そのようなフワフワした状態で見てやるより手を動かせば、取り敢えずその時は書いていることに集中出来ます。だから私の場合は、そんな不安を感じる暇もないくらい、書くことに集中するようにしていました。

合格!まず両親に感謝!夢への第一歩を踏み出します

「見るのが、怖いよー!」「どうしよう、どうしよう」
岡山大学医学部保健学科の合格発表は3時です。ちょうどその日に立命館大学の入学試験がありました。試験が終わったあとで、近くまで来ていた友だちと待ち合わせて、オロオロしながら喫茶店で合格発表を見ました。

「うわー!」「受かってる!」
大きな声を出してしまって、すごく恥ずかしい思いをしました。すぐに母親に発表のURLと自分の受験番号をLINEしました。そうしたら、既読だけが付いて返事もありません。
もちろん家に帰ったら「おめでとう」と言ってくれました。
両親に、特に母には感謝です。高卒後に入った専門学校を辞めさせてくれて、2浪までも許してくれたのは母なのです。もちろん父も「自分のやりたいことをやれ」と応援してくれました。

私の目指すべき進路はハッキリしています。臨床検査技師の資格を持った胚培養士になりたいのです。
顕微授精の技師の資格の一つですが、この資格を持った技術者を増やすことが、不妊治療のハードルを下げることにつながると思っています。
みなさんもぜひ自分の夢に向かって進んでください。『為せば成る、為さねば成らぬ何事も』ではないでしょうか? 夢に向かって、まず一歩踏み出しましょう。

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【関西大学】・【同志社大学】に合格 米澤 里奈さん

神戸三宮校から関西大学、同志社大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

辛くて孤独な仮面浪人生活を乗り越えて、志望校に合格

米澤 里奈(よねざわ りな)さん
名前
米澤 里奈(よねざわ りな)
校舎名
武田塾神戸三宮校/仮面浪人(神戸学院大学を11月に休学)
合格した大学
関西大学社会学部心理学専攻
同志社大学(補欠合格)

偏差値の推移

時間的に模試を受けている暇もなくて、偏差値がどうだったのかは分かりません。

将来の夢

今はまだ特にない。より上位の大学で、周りの刺激を受けながら考えたい。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

YouTubeの広告でノンスタイルが出ていました。私はノンスタイルのファンではないのですが、ノンスタイルが出てくると、ついつい見てしまいます。
深夜に見て、多分深夜テンションともいえる精神状態だったのでしょう、武田塾の無料相談に申し込みました。結果的には、それで良かったと思っています。

②武田塾の勉強法で成績は?

凄まじい量の宿題をこなすうちに、最初は上の空のような状態で宿題を追いかけていたのですが、徐々に実践力が付いて行きました。受験まで半年もないような状況からですが、志望校合格に最低限必要な課題を提示してもらったので、着実に進めることができたように思います。

③武田塾に入って良かったこと

1対1なので自分に合った勉強が出来るけれど、周りの人がどうやっているのか分からなくて不安だったが、いろんな相談に乗ってもらいました。
絞り込んだ学習課題を指示してもらっていたので、無駄のない勉強ができたと思います。

米澤里奈さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
和歌山県立神島高校(偏差値51)
受験相談の時期
仮面浪人の10月初旬
入塾時期
受験相談と同じ時期
受験科目
英語・国語(現代文・古文)・日本史
志望校を選んだ理由
偏差値(合格の可能性のある一番上の大学を目指した)
得意科目:理由
古文:文法と単語、助動詞が分かったら出来る。ある程度点数が取れていた。
苦手科目:理由
現代文:幾ら勉強しても、筆者が何を言っているのか分からなかった。
他の塾や予備校の経験
高校時代、高校の近くの英語塾(個人経営)に通っていた。
高校時代の部活動など
女子バレー部(センター)
受験勉強期間中のタイムスケジュール
10:00 起床
13:00~22:00 武田塾で自習&特訓。
24:00~ やる気スイッチが入って2:00から6:00ぐらいまで勉強。
好きな参考書、お勧めの参考書
『現代文読解力の開発講座(駿台受験シリーズ)』
苦手な現代文が読めるようになった。テクニックは分からないが、解けるようになった。

合格体験記

高校のこと、そして神戸学院大学進学

私の高校、和歌山県立神島高校は共学の商業高校です。私は普通科ですが偏差値も高くなくて、普通科だけでも200人ぐらいいても大学進学を目指していたのは40人ぐらいです。大半の生徒は就職したり、専門学校へ行ったりしていました。
生徒の中には稀に、徳島大学や高知大学に行く生徒もいますが、それは例外中の例外で、特別頑張った生徒です。指定校推薦で一番いい大学は近畿大学です。頑張っても近畿大学か京都産業大学というような高校でした。

私自身は、高校の時から良い大学へ行きたいと思っていたのですが、勉強らしい勉強もしないまま受験に臨んでしまいました。その結果は当然といえる状況で、名の知れた大学は全滅です。辛うじて神戸学院大学にセンター利用で入ることができました。
勉強もしていないのにプライドだけは高い私です。「もっと上の大学に入れたはずや」という思いと、「浪人しても、どおせ勉強はせんやろな」という思いが交差します。親の勧めもあって、ともかく神戸学院大学に入学してから考えようと決めました。

挫折感、このままでは耐えられないという思い

私が入ったのは、神戸学院大学の経営学部です。漠然と心理学をやりたいと思っていた私の希望とも微妙にズレていました。さらに「私でも入れるんやから、周りもうちみたいな人ばかりやろな」「私と同じで、落ちこぼれの人ばかりがおんねんな」などと、卑下した見方しかできなくなっていました。
今振り返ると、大学の偏差値で生徒の能力や人格まで評価できるわけもなくて、実際に神戸学院大学に通い始めると、「この人、凄いなー」と思える人や、人間的な魅力にあふれている人たちにも出会いました。それなのに当初の挫折感というか、自分自身が感じた惨めな気分を忘れられなくて、それでもやっぱり、「神戸学院は嫌や」となってしまったのです。

私自身、周りに流されやすいタイプです。「朱に交われば赤くなる」という諺どおり、周りに影響されやすいのです。実際のところ高校時代を振り返ってみても、周りに影響され続けていました。
良く言えば周りに順応するというか、周りに合わせようとしてしまうのです。だから、少しでもいい大学に入れば、それだけ優れた人たちに会えるし、そうすれば自分も変われると思い込んでいたのです。
「こんなとこにいたらあかん」というと神戸学院大学に行っている人たちに失礼ですが、大学受験に失敗したという挫折感にズタズタにプライドを引き裂かれていた私には、楽しいはずの大学生活が惨めなものになっていたのです。日に日に、その思いが強くなっていきました。

夏休みが終わる頃、もう一度受験しようと思った

再受験の動機は単純です。もっと偏差値の高い大学に入れれば、志の高い人たちに会えるだろうし、そのような人たちと一緒にいれば自分も変われるという思いです。さらに白状すると、「そんな大学があったんや」と言われてしまう神戸学院大学よりも、もっと知名度が高くて有名な大学の学生になりたいというプライド(自惚れかな)です。
それでも神戸学院大学への入学当初は大学生活になじもうとアルバイトをしたり、普通に食事を作っていました。普通に授業に出て、普通にみんなとワイワイ騒ぐという毎日です。

それなのに、夏休みが終わりに近付く頃には、再受験しようという思いが強くなっていました。
それまでも、少しは再受験を考えていたので、参考書を見なおしたり単語帳を見て、受験勉強を始めていました。でも再受験に挑戦するために、何が必要で、何をどうすればいいのか見当が付きません。
その状況を一変させたのが、お笑いトリオのノンスタイルが、YouTubeで武田塾を紹介している動画です。

夜中の独特のテンションで、受験相談を申し込む

米澤 里奈(よねざわ りな)さん

すでに9月の後半になっていました。ノンスタイルが武田塾を紹介する動画がYouTubeに流れていました。
私は別にノンスタイルのファンというわけでもないのですが、仮面浪人としての悶々とした日々を送っていると、クスッとした笑いに惹かれます。それでなくてもノンスタイルは、いつ見ても面白いので、出てきたら見てしまいます。
それは「まだ授業を受けているの!」という動画だったのですが、「参考書を使った勉強ならば、授業を受けるよりはるかに早く勉強できる」といった武田塾の内容紹介でした。

深夜テンションってあるじゃないですか。妙にハイになっているというか、頭が冴えわたってイメージがどんどん膨らんでいくような感じです。
「無料で受験相談をやっています」といったことも紹介されていたので、三宮にも校舎があるか調べて、即、バババババッと受験相談の申込みフォーマットに書き込んでメールしました。そうしたら次の日には、武田塾神戸三宮校から電話が架かってきて、受験相談を受けることになったのです。

それにしても、親不孝な娘です

受験相談を受けて、試験まで半年もないけど、確かにこの武田塾なら志望校に挑戦できると思いました。早速母に「この塾に行きたい」と言ったら、「行っていいよ」と二つ返事です。
ただ、いい大学に行きたいって理由だけで再受験を認めてくれる。塾へ行きたいと言えば行かしてくれる。これだけ好きな事をさせてくれる親がいて、環境が許してくれるってことを感謝しなければいけないですね。

最初の受験の時は、それがほとんど分かっていなかったのです。
大学の受験料と神戸学院大学への入学金、前期半年分の大学の授業料、アパートの敷金・礼金・その他の費用、最低限の家財道具一式など、今までに母が払ってくれた金額は、想像することさえできないほどの高額になります。
それが今では毎月のように、日々の生活費や武田塾の費用として、30万円だ40万円だと私の口座に振り込まれてくるのです。私の通帳に記載された金額の多さにもビックリですが、今年も大学の受験料と入学金を払ってもらうことになったのです。
ただでさえお金のかかる娘なのに、2回の受験と2度の入学金負担です。そんな私に比べると姉なんて、推薦利用で千葉大学ですから超優等娘です。

武田塾入塾と、神戸学院大学の休学

9月後半に武田塾の受験相談、10月から武田塾に入塾ですが、この頃はまだ神戸学院大学に通っていました。大学の授業を受けながら、授業を無視して単語帳を見たり、参考書を開く日が続いていました。
それでも武田塾の指導は容赦有りません。志望校合格への『ルート』に従って宿題が出されます。私が武田塾に入塾した時期も遅かったし、当時の私の実力で志望校に合格させるためには半端じゃない量の宿題になります。
武田塾の方でも無理がないように、志望校合格のために最低限必要な課題へと削りに削り、絞りに絞り込んでくれたのですが、それでも凄まじい量の宿題になるのです。

日本史の一問一答などは、大問を1日10項くらいやるので、まったく覚えていない状況からだと覚えるだけでも8時間はかかります。さらに英語のポレポレなどを1日8個ぐらいやるので、最低でも2~3時間かかります。だから1日15時間ほど勉強しても宿題が終わらない日がありました。
もともと夜型だったのですが、深夜に集中してやることが増えていきました。その日の調子で朝の6時までやることもあれば、2時ごろには寝てしまう日もあります。それでも朝は10時には起きて、学校へ行って塾へ行って、またまた深夜や明け方まで勉強の日々でした。
そのために生活習慣が一気に乱れて、自炊もやめてコンビニ食になって、部屋の掃除さえできないような日が続きました。
11月には神戸学院大学を休学することになるのですが、勉強に集中出来るようになった反面、友だちとワーワー騒ぐ機会も減って、ストレスが溜まるようになりました。

仮面浪人って、本当に寂しいもんですよ

昼夜は、完全に逆転していました。
武田塾にお昼ごろに行って、夜の10時まで自習や特訓です。そのあとアパートへ帰って、明け方まで勉強です。仮面浪人で、家を出て大学の近くのアパート暮らしだから、ずーっと一人です。
友だちには、もう一度受験すると言えなかったのです。受からなかったらカッチョ悪いし、噂が広まるのも嫌だし、ほんの数人しか知らなかったのです。
その数人の友だちも気を使って電話してこないし、自分からも電話をしないし、親とちょっとLINEする程度です。武田塾でも友だちと言えるほどの友だちは作っていないし、話すのは担当講師や校舎長といった先生たちだけです。

12月ごろになると、ほとんど言葉らしい言葉を発することなく1日1日が過ぎて行きました。勉強のストレスの方は「やる気がなくても、やれば終わる」と割り切ればいいのですが、仮面浪人ゆえの重圧というか、その重圧をはね返す方法が見つからないのです。コンビニ食にも飽きて、お腹が空くから取りあえず買い食いするだけの毎日です。
一方で、休学中と言っても、つい最近まで神戸学院大学に通っていたのですから、凄い誘惑があります。住んでいるのは、その神戸学院大学から、それほど遠くない場所です。
それでも、やると決めたからには友だちとも会わない、バイトもしない、サークルなんて絶対あり得ません。仮面浪人するからには「友だちも捨てろ」って心境です。ただひたすら、「流されちゃだめだ」「流されちゃだめだ」と自分に言い聞かせ、孤独に耐えていました。

得意科目と苦手科目への対策

得意なのは『古文』
古文は文法と単語、助動詞が分かったら読めるようになってきたというか、助動詞が分かった時点で大半が分かるんじゃないでしょうか。
質問は難しくないので、単語を何回か繰り返して覚えたら、ほとんどできるようになりました。いつもある程度の点数を取れていたから、得点源といえば得点源でした。

苦手な『現代文』攻略法

現代文は最初から最後まで、筆者が何を言いたいのか分からないままでした。
だから、「理解できないのに無理して分かろうとするからダメなんだ」「時間もないから、分からんでいい」「その分、『現代文読解力の開発講座』のやり方で、対比とかが分かればいい」と、講師の先生からの助言も受けて、割り切ることにしました。
取りあえず設問を見て、「これ、どこかに書いてあるはずや」と問題文の中を探して、「これや」みたいな感じで解法のテクニックを学んだのです。最初は全然読めなかった現代文が、この参考書で読み方というか、対立とか並列とか、そういうテクニックがなんとなく掴めるようになりました。
さらに過去問を解いているうちに、内容は分からなくても、ある程度は解けるようになったのです。

武田塾で完成度を高めた『英語』

私の英語には、武田塾の先生たちもめちゃくちゃ悩んでいました。
長文を読んで設問に答える問題では、ある程度の点数は取れていました。ところが日本語だったら「私は〇〇をします」は、英語なら「私は、した、〇〇を」となりますが、講師の先生に「声を出して読んでみて」と言われると言葉が出なくなってしまうのです。イメージは掴めていても、日本語で表現できないってところでしょうか。
そのようなこともあったのですが、武田塾に入って英単語の暗記量も増えたので、確実に英語の成績は上がりました。

もうひと踏ん張り出来れば良かったのですが

米澤 里奈(よねざわ りな)さん

関西大学などの過去問を解いても、問題が読めているなというか、慣れて来たことは間違いなかったのですが、多分仮面浪人していたことの疲れでしょうか、受験直前になって勉強が嫌になってきたのです。
そして一番萎えさせられたのがセンター試験です。現役の時は、センター試験の英語でも8割の正答率と結構取れる方だったのですが、全然取れなくて総合成績では去年と変わらなかったのです。こんなに頑張ったのに「あーあ、全然変わっていない」と、ズドーンと打ちのめされた感じです。
センター試験は土曜日だから、翌日の日曜日は塾も開いていなくて、家でゴロゴロしていたら勉強する気がなくなってしまいました。
もしワーッと誰かに話を聞いてもらっていたら、状況が変わっていたように思います。月曜日に塾へ行った時には、もう「しゃーないわー」と無気力になってしまっていたのです。

土壇場で無気力になってしまった私です。あと1か月間頑張っていれば、たぶんもっと上の大学に合格できたようにも思います。それでも、どうしてもこれ以上の大学に入りたいと思っていた関関同立の一角、関西大学に合格したのです。
仮面浪人って、もしかすると最悪の選択肢だったのかもしれません。親に無駄な経費を掛けさせて、さらに志望校に合格できなかった時点の、早い時期からの再挑戦に取り組めなかったのです。

優柔不断で、だいぶ遅れてから再挑戦を決めて、大学受験に挑みました。
そのような私ですが、目標としていた関関同立以上の大学に入れたのは、孤独に耐えて頑張ったからだと思います。母からも「頑張ったねー」と労いの言葉をもらいましたが、私も自分自身を褒めてあげたいと思っています。
そして、そんな私を支えてくれた武田塾神戸三宮校の校舎長や講師の先生方に感謝です。みなさんのお陰で掴んだ栄冠です。有難うございました。

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【筑波大学】に合格 田村 快士くん

西宮北口校から筑波大学に逆転合格した生徒がいますので、ご紹介したいと思います。

センター試験での度重なる失敗を乗り越え筑波大学合格

田村 快士(たむら はやと)さん
名前
田村 快士(たむら はやと)
校舎名
武田塾西宮北口校/1浪で合格
合格した大学
筑波大学理工学部応用理工学類

偏差値の推移

合格した筑波大学理工学部応用理工学類は偏差値57.5

物理、化学の偏差値は70前後になった。夏明けの模試で国語はやばかった。
秋からは武田塾で国語もとった。

将来の夢

今は漠然と工学系の職に就きたいと思っている。
研究で有名な大学なので最先端の技術を見ることが出来ると思う。何か面白い研究が見つかれば、研究職へ進むのもいいかもしれない。

武田塾で逆転合格出来たワケ

①なぜ武田塾に入塾したの?

「授業じゃなくて参考書」「一冊を完璧に」といった指導方針に共感した。
実際のところ、自分には一番合っていた。

②武田塾の勉強法で成績は?

現役時代は模試の成績の振れ幅の大きかったが、安定した。
参考書への取り組みが確実になり、基礎が固まった。

③武田塾に入って良かったこと

物理が得意科目になったこと。
教務の先生から大学に入ってからのことを教えてもらえたこと。

田村快士さんのプロフィール

出身高校名(偏差値)
西宮市立西宮高等学校グローバル・サイエンス学科(偏差値70)
受験相談の時期
浪人が決まった3月後半
入塾時期
受験相談に来た日
受験科目
センター試験:5教科7科目=英語、数学(IAIIB)、国語(現代文・古文・漢文)、物理、化学、地理
二次試験:英語、数学、物理、化学
志望校を選んだ理由
現役時代と同じ志望校、大阪大学理工学部を目指したが、センター試験のマークミスで断念。工学系の中でも研究が盛んな筑波大学の理工学部に興味を持った。
得意科目:理由
物理:現役時代は得意では無かったが、武田塾の担当の先生に根本理解を教わって得意科目になった。
苦手科目:理由
国語:典型的な理系なので、ご多分に漏れず国語が苦手。現代文(小説等)の読み取りが下手だった。
他の塾や予備校の経験
現役時代の3年間はアップ教育企画の研伸館に通っていた。
浪人した同級生はみんな駿台に行った。
兄も駿台だったので駿台へ行くかどうか悩んだ。
河合塾や東進も検討し、最後に武田塾に行った。
高校時代の部活動など
陸上部(長距離、5000mや駅伝で県大会に出場した)
受験勉強期間中のタイムスケジュール
朝9:00 起床、朝食を作りながら英単語の暗記
昼13:00 武田塾OPEN、夜の20:00まで演習と過去問と宿題
夜、帰宅後家族と晩御飯。24:00の就寝まで地理、国語、英語の暗記
好きな参考書、お勧めの参考書
『物理のエッセンス(河合塾シリーズ)』
物理が苦手な人、公式の暗記だけに頼っている人は、この参考書をやれば間違いなく伸びると思う。
物理が得意な人でも、意外な知識や面白い問題の解き方なども掲載されているので、この参考書から学ぶことが多いと思う。

合格体験記

浪人生活は塾・予備校選びから始まった

通っていた高校が進学校なので、浪人すると駿台へ行くのが当たり前のようになっていました。僕の兄貴も浪人したときには駿台に通っていました。
そんな兄や高校の先輩に聞いても、駿台自体がハイレベルな生徒の集まりのようです。だから当然のように授業に付いて行けなければ、置いていかれてしまいます。集団授業で自分の要らない講座でも、予備校の方で勝手にカリキュラムを組まれてしまうようです。
僕の場合は、得意な科目と苦手な科目がはっきりしています。だから得手不得手によってメリハリを付けた勉強が必要だと思っていました。そのこともあり、聞けば聞くほど駿台のやり方ではダメなように思い、塾探しを始めたのです。それでも他の予備校もダメなら、駿台に行くしかないと思っていました。
早速、河合塾と東進予備校には電話をかけて資料を取り寄せました。その直後にネットで武田塾のホームページを見つけたのです。

実は現役時代の3年間、アップ教育企画のやっている研伸館に通っていました。ここは進学校の生徒ばかりを集めているので、ハイレベルな授業ばかりです。さらに進むスピードが速くて、予習復習が間に合いません。それでもどんどん進んでいきます。
塾でも定期テストがあるのですが、ぜんぜん点が取れなくて再テストを受けたこともあります。高校時代は部活の朝練もあります。授業が終わると、再び部活です。それでも何とか食らいついて行きました。研伸館は学校からの帰り道にあったので、部活を夜の7時ぐらいまでやって、そのあと塾で10時頃まで授業を受けて帰る日々でした。
それも高校1、2年の時は1教科だけを、週2回受ける程度でしたが、本格的な受験勉強が始まった高3の夏からは幾つもの教科も受けて、疲れ果てて帰りました。それでなくとも、めちゃめちゃ大人数の集団授業なので、僕の生活リズムには合わない塾だったように思います。体力的にきつかったし、休日に予習復習を一気にやってしまわないと追い付かない塾でした。

僕がなぜ他の予備校でなく武田塾を選んだのか

僕が通っていた武田塾西宮北口校は、武田塾の中でも出来たばかりの校舎でした。
それでなくても、先輩に聞いても同級生に聞いても、誰も武田塾を知りません。それでも偶然、武田塾のホームページを見たときに、自学自習を推奨して勉強の管理に特化した指導をする塾だということに興味を持ちました。さらに無料受験相談をやっていることを知って、すぐに申し込みました。
受験相談でも、武田塾のホームページに載っているのと同じように、「授業じゃなくて参考書を使った自学自習が大切だよ」「一冊を完璧にしないと役に立たない」などといった話を聞かせてもらい、さらに志望校合格のためのルート(一人ひとりの受験生に合わせた、志望校合格のためのカリキュラム)を示してもらいました。

実はこの受験相談の時に、今までやっていた問題集の名前を訊ねられ、「今から、その問題集の中に載っている設問でテストしたら、何割ぐらい取れるの?」と訊かれてギクッとした覚えがあります。
結構熱心にやっていた問題集だったし、充分過ぎるほどの達成感を持っていた参考書ですが、「100%出来ます」と言えません。今すぐテストされたら、良くても8割かな? もしかすると7割も行かないなと思ったのです。だから実際には、武田塾のいうところの「一冊を完璧に」出来ていなかったのです。
勉強したつもりだけで、それなりの達成感は得ていても実際には身に付いていないことに気づかされました。あえてピンポイントで僕の弱点を突かれたことで、なぜ現役で志望校に合格出来なかったのかを思い知らされたのです。これが、駿台や河合塾や東進などの有名予備校でなく、僕の周りでは誰も知らなかった武田塾に入ろうと思った理由です。武田塾のやり方にすごく納得して受験相談を受けた当日に、受験相談のその場で入塾したいと申し込みました。

そして武田塾中心の浪人生活が始まった

先に書いたように現役時代は研伸館に通って、ハイレベルな授業を受けていました。さらに周りもやっているからと、次々と難しい問題集に手を出していました。
地盤がグラグラのところに上へ上へとドンドン積み重ねていったのです。その結果、数はこなしているので自分の知っている問題が出たら完璧ですが、少しひねられただけで全滅です。基礎を応用しないと出来ないような問題は手が出ません。
現役時代の追い込み時には、志望校を大阪大学にしてもA判定が出ることもありました。ただし模試のたびにE判定からA判定までばらばらで、平均するとC判定という状態でした。
武田塾のルート通りにやるようになって徐々に成績が安定し始めるのですが、基礎が固まるまでは同じような状態が続くことになります。

浪人生活を始めると、高校時代とは違い徐々に朝は起きるのが遅くなっていきます。夜型というほどではないのですが、朝は9時台に起床、武田塾は13時からなので、それまでは家で単語帳などの暗記物をやっていました。
両親が共働きなので、朝食は自分で作ります。食事の準備作業中でも単語帳など暗記物ならチョコチョコやれます。問題集などを使った勉強は、ちゃんと集中できる場所でないと身に付かないので、武田塾に行くまでは単語などの暗記系に走っていました。

武田塾の自習室では、集中しないと解けないような難しい問題集などに挑戦です。夕食も取らず、武田塾ではひたすら勉強です。20時くらいまでずっと勉強して、家に帰ってから晩御飯といったスケジュールです。だから13時から20時までの間は、武田塾で出された宿題(課題)に集中してバタバタ終わらせます。
そして帰宅後は、書いたりする勉強より地理、国語、英語などの暗記系です。単語帳などはいつでもパッと開いてすぐに勉強できます。もちろんそれでも家族揃って食事をするときはやりません。それ以外は常に暗記物に目を通すという生活でした。さらに毎日、24時には寝るようにしていました。

基礎を固めたら、成績がみるみる安定した

田村 快士(たむら はやと)さん

「大学の理系は女子が少ないけど、女子は人脈を広げるのが得意で、先輩から定期テストの過去問などを貰って来るし、出題傾向などを聞いてくるから、入学したら女子とは仲良くしとけよ」
武田塾で教務の先生と雑談に興じるのは、塾へ行って直ぐか帰る間際です。女子学生と仲良くしておいた方がいいって話やサークルの話、アルバイトの話など、教務の先生も受験生のモチベーションアップを考えて楽しい話をしてくれます。

最初の受験相談の時に「授業を聴くより参考書の方が効率がいいことは分かるよね」「問題集も沢山やるより一冊一冊を完璧にした方が身に付くと思わない?」という話を聞いて、現役時代の授業で「参考書を読めばすぐ分かる話なのに、なんでダラダラと授業を続けるんだろう」とウンザリしたことを思い出しました。
さらに武田塾のルートに沿って、一週間ごとの宿題(課題)のあとに確認テストをやることにも違和感はなかったのです。高校でも出された課題は100%やっていたので、武田塾でも出来るという自信はありました。
実際に武田塾でルートに沿った勉強を始めて、確認テストを次々と突破し始めると、成績は順調に伸びて行きました。以前はムラがあった模擬テストの成績も、堅実にA判定です。スランプらしいスランプを感じることなく、基礎から応用へと進めることが出来ました。

武田塾に入る前は成績にムラがあったと書きましたが、現役時代は、それがなぜなのか分からないまま大阪大学に挑戦して、センター試験はイマイチ、2次試験は丸っきり太刀打ちできない状態で撃沈されてしまいました。
武田塾に入ってからは、それこそ余りにも当たり前だからこそ逆に目から鱗だったのですが、問題集のやり方などを教えてもらいました。自分のできていなかったところを下から順に、簡単な問題集からどんどんレベルアップして穴を潰していく方法です。当然のようにここで、武田塾の場合は「一冊を完璧に」ということを徹底します。
課題を決めてやり切るという方法は高校時代にもやっていたのですが、たぶん同じように勉強しているようでも、基礎から順番に「一冊を完璧に」固めて行って、最終的には志望校の合格点が取れるように導くルート(合格までのカリキュラム)にムダがなかったことが大きかったと思います。
今度こそ本当に模試の成績は安定してA判定になりました。結果的には大阪大学を断念するのですが、センター試験も2次試験も「合格点は取れる」「あとは試験を受けるだけ」という心持ちで挑むことになります。

物理が得意になったわけ

高校時代は、物理が得意というほどでもなかったのですが、武田塾で担当の先生に教わるうちに成績がどんどん上がって、「これが得意科目です」と言えるようになりました。
その武田塾の先生の話が面白くて、それと同時に分かりやすかったことが一番の理由ですが、「一冊を完璧に」という武田塾の勉強法も影響しているように思います。プロフィールの中の『好きな参考書』で紹介した『物理のエッセンス(河合塾シリーズ)』という参考書の存在も大きかったようです。
この本は最初にやる基礎の参考書ですが、物理は公式の暗記だけをやっていると、応用問題などに対応できなくなります。公式の暗記で点数を稼ぐことばかりを考えるのでなく、なぜその公式が作られたのかなどの根本理解を深めるように努力すると、次々と応用問題が解ける楽しさが生まれてきます。

根本的な理解を深めることの大切さを教えてくれて、実際に物理の根本理解を促してくれたのが武田塾で担当してくれた講師の先生と、『物理のエッセンス(河合塾シリーズ)』という参考書でした。「一冊を完璧に」の言葉通り、この参考書を徹底的に読み込むことで物理の基礎が盤石になったと思います。この参考書は丁寧に書かれているので、幾度も読み込むことで物理が得意科目になったのです。
この参考書を終えた後でも、過去問などで分からないところが出てくると、この参考書に立ち戻って勉強するという教科書のような使い方もしていました。その結果、今ではハッキリと、「得意なのは物理です」と言い切れるようになりました。筑波大学理工学部応用理工学類では、進学後に化学系と物理系に分かれるようですが、絶対自分には、物理系が向いていると思っています。

センター試験の英語は満点だった

朝食を作りながら英単語を覚えるなど、自宅での勉強のほとんどを単語帳などの暗記系に充てていたと書きました。もしかすると他の人たちより、暗記系には時間をかけていたのかもしれません。
英語には、高校の先生に教わった勉強法がありました。派生語があるので、動詞を調べたら、それの名詞、形容詞があって副詞があってというように、分からない単語が出てきたら電子辞書で引いて、その単語の活用形を全部バーッと覚えてしまうという勉強法です。
動詞も動詞と前置詞をセットで覚えていないと、実際には使えないことがあります。その単語だけをひたすら覚えていても、後ろに続く前置詞を知らなかったら、英訳しろと言われたときに使えないことがあります。だから一続きで覚えてしまうことや、例文で覚えてしまうことを意識して覚えました。このように派生語も一緒に覚える方法で、センター試験の英語は満点が取れました。

センター試験には、コンパクトな試験当日携帯ノート

地理の場合、分厚くて読むのに時間を要する参考書がほとんどです。日常的な受験勉強でも、参考書があれだけ分厚いとダラダラ読んでも頭に入りません。その土地の気候が農業や工業などに影響する気候帯などは色鉛筆を使い、世界地図に色を塗ることもやっていました。
ここの気候はこれだからと自分で色分けして色を塗るような作業をすれば、基礎になる気候帯を完璧に覚えることが出来ます。そこまでやれば農業や工業など、全体の知識を把握するために活きて来るのです。市販の参考書には、すでに気候帯ごとに色が塗ってありますが、それを眺めているだけでは覚えられません。
やはり手を使って、書いたり塗ったりすることで覚えなければと思います。このような努力を繰り返したからでしょうか、センター試験の地理の結果は82点でした。

地理の参考書が分厚いと書きましたが、他の科目だってコンパクトにまとめられた参考書など余りありません。
センター試験の場合、休憩時間が1時間もあるので、誰もが会場へ参考書をもって出かけます。ところが分厚い参考書を持ち込んだとしても、あるいは何冊もの参考書を持ち込んだとしても、限られた時間の中では何から手を付ければいいのか分かりません。
『負の歴史ノート』というようですが、僕の場合はセンター試験当日に使うために、模試でよく間違えるところや計算間違いをやりがちな問題など、あるいは忘れそうな知識を一冊のノートにまとめておきました。
コンパクトに1時間できちんと読めるくらいの量のノートを作っておいたのですが、センター試験ではこれが役立ったように思いました。

最後まで苦しめられた国語で志望校変更

もともと国語は苦手科目です。僕自身が典型的な理系なので、当然のように苦手です。
それでも古文や漢文は、最低限のやるべきことをやっておけば、ある程度の点数が取れます。ところが現代文ともなると、何かちょっとしたコツが必要なようで、特に小説や評論に関する問題での読み取りに四苦八苦していました。勉強法が分からないというか、最後まで解答するためのコツが呑み込めなかったのです。
他の科目は基礎固めと同時に模試や過去問の成績も安定してきたのですが、国語だけは相変わらずの大波小波です。それでも当初は模試の成績も順調に伸びていたので、それほどの危機感を持たないまま夏の終わりを迎えました。
もうすぐ秋だと思った頃に受けた夏明けの模試で、極端に偏差値が下がったことがあります。これは「ちょっとヤバイかも」と、もう一度国語に力を入れ始めました。さらにセンター試験の2か月ぐらい前からは、ひたすら過去問を解いていたので、センター試験直前期になって、割と点数が取れるようになりました。

ところが、ところがです。センター試験の本番で、「これくらいは取れてるやろ」と思っていた点数が、実際に採点してみると最悪の状態です。何と試験本番になって過去最低点を更新してしまいました。
国立大学の場合、理系の2次試験で国語を課さない分、傾斜配分というセンター試験での得点配分の調整で国語の配点が多くなるところがあります。
センター試験の国語での躓き、これが第一志望だった大阪大学の受験を諦めることになる一因です。大阪大学はセンター試験での国語の配点が、他の国公立大学の中でもひと際多いのです。
だからといって最終的に受験した筑波大学の場合でも、それほどではないにしても舐めていると痛い目にあいます。僕の場合は出来なかったのですが、特に国語の場合は、付け焼刃では手に負えないので、何らかの事前準備が必要なようです。

ミスがなく、さらに120%の力がないと志望校に受からない

単なる学力だけでなく、精神力も問われているのが大学受験のようです。いつも解いている問題とほんの少々違っただけで、模擬試験では解けているのに本番では解けなくなります。
特に国公立志望の場合は、5教科7科目を、すべての科目でオールマイティに出来ないと合格圏に到達出来ません。まして理系ならば万全を期すというか、120%の実力を蓄えてギリギリ受かるかどうかの瀬戸際です。過去の合格者の最低点を調べて、ギリギリでも超えているから大丈夫だなどと思っているようでは危ないのです。さらに試験本番では、思わぬミスをするものです。その思わぬミスをやってしまった僕が言うのですから、真実味があります。

つい先ほど、センター試験での国語の成績が史上最悪だと書きました。さらに数IIBで選択科目の回答欄を間違えてしまったのです。その結果、解いていた40点分をごっそり無くしてしまいました。
マークミスなんて、模擬試験でもやったことがありません。正直「マークミスなんて誰がやんねん」と思っていました。「マークミスに気を付けるように」と聞いたことはありましたが、「そんなん、ありえへんやろ」と思っていました。
数IIBでは、大問1、大問2は筆頭で全部解答しなければいけなくて、3、4、5は選択問題になっています。そしてマークシートの解答用紙は、3が表にあって、4、5が裏にありました。 僕は先に選択問題から解きました。選択問題は3、4を解くことにしたのですが、それを4、5のところに書いてしまったのです。解いている最中には全然気が付かずに、試験用紙を提出するときにハッと気付きました。その時にはすでに万事休すです。40点もの得点が一気に消えてしまいました。

そのあとに物理と化学のテストがありました。その前に1時間の休憩時間です。
40点も失った直後です。今まで以上に、この2科目でプラス40点を取らなければならないのです。ともかく自分を落ち着かせようとしました。そして臨んだ物理と化学です。プラス40点は無理でも、いつも通りに取ることが出来ました。不幸中の幸いというか、大阪大学は無理でも国公立大がまだ射程圏内に残っていました。

2浪は嫌だけど、筑波大学理工学部一本に絞り込んだ

理系の大学ならば国立大学だと思っていました。さらに近くの国立大学といえば大阪大学です。現役のときに受けたのも大阪大学で、浪人中もセンター試験が終わるまでは大阪大学を第一志望にしていました。
先にも書いたように大阪大学は、センター試験の国語の配点が大きいのです。さらに数IIBでの致命的な失敗が重なりました。受けても危険水域からの挑戦になります。
何とか親を説得して、大阪大学以外の国立大学を探し始めました。大阪大学以外の国立大学と言えば、どちらにしても下宿になります。そうなれば近くても遠くても関係ありません。

『筑波大学理工学部応用理工学類』
この大学の、この学部の存在を知ったときに、もうここしかないと思いました。
何とはなしに理系に進もうという大枠だけを決めて、何処へ行きたいという明確な希望もなく、将来についても漠然と考えていただけです。一方で筑波大学理工学部応用理工学類は、1年目から幅広く勉強をする学部のようで、勉強をしているうちにやりたいことが見つけられるようです。最初は物理系に志望でも、あとで化学系に変えることも出来ます。まさに自分みたいにやりたいことが決まっていない学生向けの学類だと思ったのです。即断即決でした。

ここまで来たら、筑波大学で一発勝負!

一応、滑り止めとしては関西大学システム理工学部や環境都市工学部もセンター利用で受けていました。
もちろん合格だったのですが、入学金も入れず、全部蹴ってしまいました。筑波大学に受からなければ、後期試験も受けていたとはいえ、2浪も検討しなければなりません。
後がないのです。すごくドキドキして12時のWEBでの発表を待っていました。そうしたら10時には大学の掲示板に合格者の番号を張り出したようで、合格発表の掲示板を撮ってネットに載せてくれた人がいました。ちょっと「筑波大学 合格発表」と検索しただけですぐに見つかって、「アレー!?」って感じです。
だからなのか〝嬉しい〟というより〝とりあえずホッとした〟という感じです。

これから受験されるみなさんへ

田村 快士(たむら はやと)さん

受験会場には魔物が潜んでいます。
僕と同じ轍を踏んで欲しくないから、もう一度僕の失敗に触れておきます。
センター試験のマークシートの解答欄の形式などは、模試などで慣れていると思います。それでも僕の場合は数IIBで時間に追われ、回答欄の確認もしないで裏面から始めてしまったのです。
3の解答欄が表にあると気づかず、裏の解答欄に4、5と書いてあるにもかかわらず、何も見ずに4と5の欄に3と4を解答してしまいました。試験本番で注意するだけでなく、常日頃の模試の段階から、テスト開始と同時に解答欄を確認することが大切です。でないと僕のように、ゴッソリと点数を失くすことになります。

僕の場合は本番でのミスがたたりましたが、受験勉強そのものは順調だったと思います。それというのも集団授業の限界を知り、武田塾の「一冊を完璧に」という参考書を使った自学自習を続けたからだと思います。
それと合わせて武田塾でルートと呼んでいる、一人ひとりに合わせた志望校合格までの明確なカリキュラムがあったからです。その指針通りに、さらに毎週の確認テストで合格点が取れるように勉強すれば、間違いなく合格へ近づいているという安心感がありました。
みなさんはこれから受験勉強です。もちろん僕も大学での勉強が待っています。でもその前に、浪人してからも7月ぐらいまでは続けていたランニングを再開します。近いうちに筑波山を見ながら走ることになりそうです。

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